情けは

おはようございます。

昨日一宮を早朝に出て宇治に帰って来たのですが、名神高速彦根を過ぎた頃から雪が舞い始め宇治に近づくにつれ雪の量が多く、寺に帰ってみれば木々は雪の花が咲き、屋根は5センチ以上の積雪、しんしんと降っており驚きました。何年ぶりか思い出すことさえ難しいくらい数年積雪はなかったように思います。
建国記念の日に銀世界を見せてくれた裏には天は何を気づけとおっしゃっているのでしょうか、お昼過ぎに止んでほっとしました。
昨日から一泊二日で研修を行っているのですが、研修生の皆さんも寺に来るのに大変な思いで入山していただきました、ごくろうさまです、お昼過ぎまで精進ください。
「情けは」。
「情けは人のためならず」という言葉があります。これは「人助けは自分に返ってくる」という意味です。
降雪を見て思い出したのです。今年は各地で豪雪のため車の大渋滞の報道がありました。そんな中で道路近くの住民の方が車の中で難渋している人のためにトイレを貸してあげたり、食事を振る舞ったりという素晴らしい報道がありました。
できそうでなかなかできない素晴らしい行為です。人の難儀を見て放ってはおけない、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、昨今はなかなかこの当たり前のことができないのが悲しいことの一つです。
呂新吾の「呻吟語」に「曲がりくねった山間の道で、前を進む馬車が横転すれば、後から来る人達はそれを力を合わせて助けるものだ。これは親切心からではない。前の馬車が道をふさいで、後の馬車が通れないからである。ただ「危急」であることが一緒であるだけでなく、迷惑であることも一緒なだけである。他人のためにすることが、実は自分のためになっているのである。
君子であれば、仕事を共にしていながら、同僚が差し迫っている情況を見て見ぬふりをするのは、結局のところ、自分を孤立させることになると気づくのではないか。」。
この話は「情理」を説いているのです。正しく学んでいれば間違った情の行為はしないものです、間違った情とは「何で人の失敗を俺が手伝わなければならないか」といった事です。
いくら情、思いがあるのだとうそぶいていても、人の困っている現実を見て見ぬふりをするようでは「正しい知識も、正しい人間としての情も無いと己から宣言しているようなもの」です。
「情けは人のためならず」です。知識も情も人のために用いることで結局は自分に返ってくるのです。
「人を助けるものは、天もこれを助ける。人を受け入れるものは、天もこれを受け入れる」と私は考えて人を認め、原理に即して愛情を以て人様に接したいと思っているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌