己の利を先にしない

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お参りいただきありがとうございます。法要後は緊張感も開放され、皆様とご一緒できたことに一入の喜びを感じます。
ご一緒に祈るご縁日の護摩の炎の美しさは表現ができません、美しいというしかありません、そしてご利益がある。
美しいのは護摩の炎ばかりではなく、法要前の準備から法要後の後片付けお掃除までお手伝いいただきました皆さんの姿は炎に勝る美しさです。これからも率先したご奉仕をお願い致します、ありがとうございます。
愛宕寺も心華寺の信者さんも同じですが、皆さん自身のことよりも身内の方や会社の安泰を祈る方ばかりです。だからでしょう、お顔がとても「穏やかで美しく輝いています」。
「己の利を先にしない」。
おかしな話ですが自分の利を祈る人よりも「人の利を祈り拝む方が繁栄していく」のです。何故でしょう、答えは簡単です。「心が豊かだから」です。心の豊かさとは「物の多少、大小ではない」のです。正しい教えを「心に保つ喜び」があるのです。正しい教えとは「人を思う心」です。
自分の利ばかりを祈る人は自分より物を多く持っている人や、地位が上である人を「受け入れることが出来ない」のです。このことは「心の許容量が狭い」ということです。
心の世界は「無限」です。その無限な世界の心を「我欲で限りあるものとしている」のです。ですから「入る余地、余裕がなくなり入らなくなる」のです。
また何事も上には上があり限りがないのがこの世であり、我利を先としている人は欲に限りがありませんので「心がいつも不安定」なのです。欲を重ねれば重ねるほど「心の揺れ、振動が大きくなるのが道理」であって、揺れている上には「物は載らない」のです、載らないくらいであればよろしいが「これまでに積み上げた物まで倒壊する」のです。
欲、我利には「破滅の道しかないということの証」です。
欲はあってもいいのです、大いに欲を持つべきです。その欲の順序が「人様そして自分という図式、法則が道理」なのです。お参りいただく皆さんのお顔を拝見しておりますと心がホットします。それは我欲でギスギスしていないからではないかと思っています。
明晩は「にんげん学」小倉講座、にんげん学も利より義を先にすることを教えています。永遠の繁栄の基礎学をご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌