熟慮断行

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。毎月の「にんげん学」講座の締めくくりが小倉、終わりよければすべてよしと言いますが、小倉講座を終え安心して宇治へ帰ります。
また来月お会い致しましょう、混迷しています今日、昨日書きました「易行道に居り」果敢に実践ができる指導力のある社会人を多くするためにも友人、知人の方に一度心学の大事をお声がけください。
「熟慮し断行」。
孫子の兵法に「勝算なきは戦うなかれ」と。昨今のリーダーを見ますと、「算も無く戦い敗れる者が多い」のではと「マスコミを賑わす醜態を見て」思うばかりです。古典である「心学」が完成した時代はいわゆる戦国時代。言語行動に慎重でなければならず、一身を保つには精神も肉体も鍛えなければならず、愚かなことを言えばそれこそ前からも後からも命を奪われ、首と胴があっという間に離れるという仕儀になりかねない時代。それこそ生死の学とも言えるでしょう。
「慮(おもんばか)らずんば胡(なん)ぞ獲(え)ん、為さずんば胡ぞ成らん」(書経)。「慮らずんば胡ぞ獲ん」とは、事を始めるにあたっては、やるべきか、やらざるべきか、よく考える。そうでなかったら、よい成果は得られない。
「為さずんば胡ぞ成らん」とは、断固実行に移さなかったら、事を成し遂げることはできないということです。
つまりは、「熟慮断行」です。物事を成功させるためには、熟慮と断行、この二つが必要であり、どちらが一つ欠けてもうまくいかないということです。
熟慮とは「情報の収集」。現代は情報があふれているように思われますが、必ずしもそうではありません、ほんとうに必要な情報を手に入れるのは、どの分野でもけっこうむずかしいものです。それを集める「手間ひまをおしまない」ということです。情報を集めたら、次にそれを分析し、どの程度の「勝算があるのかを検討」します。それが「熟慮の内容」です。
では、どの程度の勝算があればよいのか。まず、勝算ゼロ、これは論外。そんな戦いは断固避けなければなりません。では、勝算十割、人間のやることですから、そんなケースはもとよりありえないと見てよいでしょう。
微妙なのは、勝算五分五分です。勝つかもしれないが負けるかもしれないというケースです。「孫子」に言わせますと、これはバクチだというのです。当然、バクチはダメということになります。してみますと、少なくとも七分か八分くらいの見通しをつけてからやれ、ということになるでしょう。
しかし五分五分の勝算でも、「それ行け」となる可能性はあります。場合によっては、やってもいいだろうと思います。とくに組織が勢いに乗っているときは、少々不利な条件くらいは勢いで乗り越えていくことができます。
とはいってもやはり、熟慮は大事であり、周囲が見えなくなるような勢い、慢心を抱かないためにも「箴言としての心学の大事がここにある」のです。
今日は日曜日、2月も明日一日、どのような状況下でも学ぶ事がなければ未来は開けないのです。私も新幹線の中で静かに今月の反省をしながら宇治に帰ります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌