状況判断

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。週の初めはやはり元気に皆さんのお顔を拝見してスタートできればと願っていましたので、願いがかないますと嬉しくなります、ありがとうございます、来月もご一緒ください。
週の初めの昨日は小雨の降る朝。事を始めるとき天候が良くなかったり自然現象が思わしくなかったりしますと、「天は私の思いの力を計っているのだ」と考えています。
雨が降れば傘をさせばよいのです。困難な事が出来れば「知識の引き出し」から「別のものを出し対応すればいい」のです。困難という現実はこれまでにやってきたことでは対応しきれなかったから起きた問題。このことを「理知的に考え情熱的に解決すること」です。正しい状況判断は「目標、志が根底に無ければできません」。
目標、志が根底に無ければ正しい状況判断が出来ずに、「感情的判断を下し」、誤った対応をしてしまうのです。
「状況判断」。
過ちを犯さない人はこの世にはおりません、過ちを犯したら改めるべきです。このようなことは誰でも知っています。誰でもが知っていながら、改めることが出来ないのが「人情」でもあるのです。
改められない理由が「目標、志が根底にない」ことが上げられます。過ちを指摘されたり、現実に生じたりしますと「ついつい感情的になり改められない」のです。そこで状況判断を誤らすこととなるのです。
論語、学而第一、八条に「子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とせよ。己に如かざる者を友とする無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。」と。
意は「孔子言う、人の上に立つ君子たるものは、荘重な態度を持しておらないと、犯すべからざる威厳が備わって来ない。といって、荘重で威厳があることばかりに心を用いすぎると、とかく頑固になりがちであるが、学問をすれば、その頑固さがなくなって来る。この二つの注意を以て身を持すると共に、更に心の持ち方としては、忠信すなわち誠心を専一として、それから離れぬようにするがよい。しかも自分が平素交わる相手は、近侍の者でも部下であっても、自分の非を正し過ちを諫めてくれる、学徳すぐれた人を選ぶがよい。このようにしても、なお一時の過ちがないとは限らぬが、その場合には面子にかかわって非を押し通すことをせず、犯した過ちを改めるに躊躇してはならない。」。
私たちはリーダーを目指しています。確かな大人になることを目指しているのです。状況判断を正しくしなければならない場面は日常にあるのです。いかに学ぶ事が大切か、というよりも「修己治人(己を修め人を治める)の学が大切」だということです。そして「学友」が大事だと言うことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌