理屈の前に

おはようございます。

今日はお彼岸のお中日、あいにくの雨ですが阿弥陀様の慈雨であってほしいと願っております。昨日九日ぶりに救出された被災者の方もあり一筋の光明であります。
雨だからこそ今日は是非皆さんお墓参り、寺参りを家族でしましょう。家族の安泰、家の繁栄、会社の繁栄、そして家族仲睦まじく在ること、また自身の心の安定ができる大本がご先祖を日々敬う行動です。言葉のないご先祖様に対し自分の都合を言わずに従う、そしてその後に自分のことを考えると云うことは「思考の幅を広げる、人間の器量を大きくする」一つでもあるのです。
何でも先ず自分の都合が一番では、我利我利亡者と成ってしまいかねません。
身近な関係での安定が人生の安定安泰であることは誰も疑いはないはずです。身近な安定をもたらすのが「先祖供養」です。
「理屈の前に」。
正しい理屈というのは教えて理解、行動できるというものではなく、「行動し体感してこそ理解できるもの」です。
正しいことを教えようとすればするほど理屈は後です。「これをすればこういう良いことがあるよ、だから云々」といった教え方は聞く方からすれば「出来ていないからしなさいと聞こえる」のです。不足と、愚痴の言葉には「反発する」のです。良いことを言っていながら逆の結果を招くことは最悪です。
幼児が言葉を覚えるのは何故でしょうか、「教えないから」です。良い躾も同じ事です。良い躾をしたいと考えているのに、教えてしまっているという「愚を犯している」のです。
良い躾をしたいと考えているのであれば「行動する」ことが一番なのです。朝は必ずお仏壇に手を合わす、命日にも同じように手を合わす、お彼岸の中日は国民の休日ですので家族でお参りをする、「理屈を越えて行動」です。
このようにあれば、歯を磨かないと口が気持ち悪いように、お参りしなければ気持ち悪いものなのです。日々掃除をしていれば汚れていれば気持ち悪いように、理屈ではなく「感覚」がそれを覚えていることが人生の要道でもあるのです。
理屈で人生の成功を手に入れた人はいません、行動実践が大事なのです。よいことは知ることではなく、「行動すること」なのです。今日は心華寺「春季・彼岸会法要」です。午前10時からです、お参り下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌