不自由こそ

おはようございます。

今日午前10時から愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」原子力発電所の一日も早い正常化を祈ります。是非皆様もご一緒にお祈りください。
月例ですから毎月決まっています。私が今日在るのはこの「決まり事、法に従った結果」だと感謝しています。
「不自由こそ」。
比叡山での小僧時代、真冬の寒い朝、凍るような水での本堂の拭き掃除は指がちぎれるほどに辛いものです。あるとき小賢しい私はお風呂の残り湯で拭き掃除をしたのです。
それを師匠がある時見とがめたのです。「千年前から水で拭いている」と。その時はこの言葉を納得できませんでしたが、後日「楽を求める心からは何も気づきはないぞ」との戒めであることに気づかされたのです。
人生はわざわざ苦労する必要はありませんが、道理も分からずに楽を望んで歩んだのでは「苦を招く己を作ることとなる」「苦を避ける己を作ることとなる」ことを知ることも大事です。
覚悟、生き様というのは「気の充実」と言っても良いでしょう。気、オーラは「発せられる」のです。
人生の確立を願い「法に従って修練する」。これらはすべて「不自由なこと」です。しかしこの不自由が「自由を生む」のです。自由とは「覚り、自覚」です。心の自由であって身が自由になることではありません、故に古から名人上手と言われる人は「修練を怠らなくする」のです。
それは修練の不自由が「大いなる自由を与えてくれることを知ったから」です。このことはとりもなおさず「気の充実となり」オーラとなるのです。何度か書いておりますがオーラは誰でも発します、そのオーラが強いか弱いかは、「法則の不自由が自由を生む」ということを「体得しているか、否かにあり」、道理を体得していない者にとっては単なる「不自由」なのです。故にどんどんオーラが出なくなり、体得した者は気の充実が高まり一層オーラが増してくるのです。
信仰者が何故富と地位を結果として得るのかと云いますと先の道理と同じなのです。法に準じるからなのです。
午前10時からですお参りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌