責める

おはようございます。

新しい週の始まりです。新たに始まるということには何事につけても気持ちが入るものです。そして時間が経ちますと確かに反省していく人と反省を知らず悔やむ人とが出るようにみえます。
「責める」。
責めるとは「人を責める、おのれを責める」ということですが。責める時の「思いが大事です」。どのような思(反省)いで責めるかということです。
どちらの会社も新人の皆さんが入社して半月を経過しましたが、新人の皆様の欠点長所が見え始めてきたのではないでしょうか。人の過失を見て責める際に気をつけなければならないことがあります。
欠点や過失があった場合、そのような中でも「欠点や過失でない部分を探し出して、あたたかい目で見てやる」ということです。
何故かと言いますと、そうしますと「責められた人も心は平静となって、言うことも聞いてくれる」からです。指導するということは結果「成長させる」ということです。
昨日書きましたが、心に暖かさを持たず冷たさ、欠点や過失を責めるだけでは「心を閉ざしてしまう」からです。
また自分自身の欠点や、過失を責める時は、欠点や過失はないと「思い込んでいる中に探し出して」、「自らを省みるようにする」と、自分の修行は向上していくのです。この思いがなければ人格の向上はならないと思ってよいでしょう。
欠点長所は誰にでもあるものです。上に立って指導をするとき、往々にして自分を過信して反省を忘れ欠点を棚上げし、そのことが欠点となり、若者達が言うことを聞かないという現実となる場合も多くあるのです。
己を省みないような意識では若者達の長所を見る目というものも失ってしまうのです。「人を責める時、おのれを責める時」の大事に気づくべきでしょう。
「反省はおのれを養い、叱責はおのれを傷つける」ことも知っておくべきことであります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援致します。