信と疑

おはようございます。

今朝は雨で冷え込んでいます昨日入山されました83名の研修生の皆さんには厳しい体験をいただいています。自然から受ける試練はどこにも文句を言っていくところがありませんので心身を鍛えるには最適だとは思うのですが。
はてさて新人の皆さんは会社から連れてこられ、自分が望んでいない素足での生活、会社のせい、指示を出した寺のせいと考え、このような思いをするのは人の所為と受けとめているのでしょうか、如何なものですかね、多くのことを主体性を持ち、人の所為にせずに考える人間性を養って欲しいと願っています。
人の所為にしたときから「努力する必要性を感じなくなる」人間性を作り、問題意識を持たず、不平不満の多い人間性を養うからです。
私たちが日常を過ごすに当たり対人関係を確かにすべきことの大事は誰でも知っています。ではどのような気持ちで対人関係を行うかについて確かにしている人はいるでしょうか、皆さんはいかがですか?、どのような「思い、気持ちで接するか、対するか」ということです。
「信じる者と疑う者の違い」。
人様を信用する人は、人様は必ずしも「すべてに誠があるとは限らない」ことを知ってはいますが、少なくとも「自分だけは誠を尽くします」。
これに対し人様を疑う人は、人様は必ずしも「すべてに偽りがあるとは限らない」のですが、少なくとも自分はまず「欺いている」ことになるのです。
対人関係を「良好にするには相手云々ではない」ということです。「先ず自分の心の在り方だ」ということです。信じるとは相手はどうであっても、「先ず自分が信じる」。疑うのもこれまた「自分が疑っている」のだということに気づくことです。
この「心」を知らずして人様云々を言ったとしても始まらないのです。よい人生の展開を望むのであれば「先ず疑わず信じる」ことが「基本」なのです。誰でも信じて欲しいと願っているはずです。だからこそ先ず自分が「疑わず信じること」です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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