リーダー像

おはようございます。

先日統一地方選挙が行われ当落悲喜交々の様子が報道されました。有権者である私たちも一政治家になった気持ちで国や市、町をどうするかということを考えなければいけません。
あちらがダメだからこちら、というような「私的欲望で安易な選択」をしてしまうようでは社会の混迷を深めるだけです。どのような人に舵取りをしてもらいいたいのかを有権者である私たちが確かにすべきです。
「リーダー像」。
論語、為政第二、第十三条に「子貢(しこう)、君子(くんし)を問(と)う。子曰く、先(ま)ず其(そ)の言(げん)を行(おこの)うて、而(しこ)うして後(のち)に之(これ)に従(したご)う。」とあります。君子とは為政者、リーダーと読んでもいいでしょう。
意は「子貢が君子の態度について質問した。これに対して孔子は、君子は実行を先にすべきものである。あることを口にしようと思えば、まず以てそれを行いにあらわにし、その後言うべきは言うものである、と教えた。」
私たちは物の長短を「正しく測るときには物差し」を用います。それと同様に人を推し量るときの「物差しを持つことが大事」です。人を見る物差しの一つが孔子の言葉です。
人を見る目を確かに養えばこそ「リーダーを選べる」のです。でなければ「欲に目がくらまされます」。
之に従うとは、言葉が「行いについて行くこと」でありますが、ただ「言葉の先に行いのあることを示すのが主眼で」、行った事を後から「必ず口にする意味ではありません」。「行ったことを滔々と自慢気に言うような人間も信用はならない」のです。
同じく十四条に「子曰く、君子(くんし)は周(しゅう)して比(ひ)せず。小人(しょうじん)は比(ひ)して周(しゅう)せず。」と。
意は「孔子言う、成徳の君子は、たれかれの差別なく、ひろく公平に交わって、決して偏頗(へんぱ)な交わりをしない。これに対して、徳の修まらぬ小人は、偏頗な交わり方をして、ひろく公平に人と交わることが出来ない。」
周も比も、共に親しむと訓じ合すると訓じ、密と訓ずる字でありますが、ここでは周を善意に解し、比をその反対に解して用いています。
君子は「その心公平で私がない」。故にあまねく人と交際が出来る。然るに、小人は「私心を持っているから」、自分の「利害にかかわって」、その「交際もおのずから一方に偏したものとなる」。「心の公と私とが」、この相違をもたらすのであります。
上に立つ者の使命の一つは「広く人材を集結させ社会に生かすとこと」にあります。だからこそ公私に偏しない人格が求められるのです。
上の語は「私たちが政治家を選ぶときの物差し」です。私心の損得や、利害で選んではいけないのです。今日の政治の混乱、政治家の腐敗は利を追い一票を投じた「私たちの私心にも原因があった」のです。確かなリーダーを求めるためにも「」修己治人」の学である「にんげん学」をご一緒しましょう。
明日29日は愛宕寺「釈尊誕生会・花祭り」午後2時から執行します。お釈迦様がお生まれになられたお陰で人生に迷うことを少なくしております。どうぞお参りの上感謝の祈りをご一緒ください。誕生仏である可愛いお釈迦様へ甘茶を濯ぎ威徳をちょうだいしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援致します。