人間像

おはようございます。

昨日はお昼2時からという時間でしたが愛宕寺「花祭り」におまいりいただきありがとうございます。お釈迦様お一人の誕生が世界の人々の光明となった、お釈迦様を「大恩教主」とも表現致します。
人生をゆったりと安心して過ごすことが出来る大恩のあるお方であるという意味です。その恩に報いる歩み方をしたいものです。
様々な新しい風が吹いた4月も最終日となりました。今月のご愛読ありがとうございます。
新たな旅立ちをしました新人の皆様方も先輩諸氏も反省し総括して締めくくりをしましょう。反省のないところに強い新たな芽はでません。その上で「目標」を再確認しましょう。
「人間像」。
私たちは誰しも「このような人間になりたい」という思いを持って歩んでいるはずです。孔子も弟子からどのような「人間を目指していますか」という質問を受けたのです。
論語公冶長(こうやちよう)第五、第二十六条に全文はあげませんが、弟子達にそれぞれどのような人間像を目指しているかを問うた後に質問を受けての答えが次の語です。
「老者はこれを安んぜしめ、朋友はこれを信ぜしめ、少者はこれを懐かしめん。」。
意は「年長者からは安心され、同僚からは信頼され、年少者からは慕われる。そんな人間になりたい」。
「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれません、たしかに平凡といえば平凡です。しかし、この言葉は、まわりから「信頼される社会人とはどういう人間なのか」、その「中身をよく説明している」のではないでしょうか。
人間社会は年令の違いは当然としてあります。そのような中で社会人として「上の者からは安心してもらえる、同僚からは信頼され、下の者からは慕われる」というのですから、まわりの信頼という点では「これ以上ないレベル」といって良いのです。
人生の経営、会社の経営を軌道に乗せるためにも、まわりの「信頼が必要」です。企業に対する信頼、経営者その人に対する信頼、いずれも欠かせません。そういうものを考えるうえでも、孔子のこの言葉はずいぶんに参考になるのです。
どのような人間像をイメージするかで人生は大きく違ってきます。特に新人の皆様、スタートの今が大事です。知識を豊かにし、技術を磨き高める修練が必要です。それ以上にそれを生かすためにはに「人間性」です。
心は自分の言うことを聞くなどと安易に考えているようでは、その心に翻弄されてしまうことになるのです。「心こそ、心まどわす心なれ、心にぞ、心、心ゆるすな」です。己の心が己を迷わす元です。じっとしていないのが「こころ」、心は「コロコロと転がるから心と名づけられたのです」。
確かなイメージも持たず何とかなると考えるような安っぽい人生としてはなりません。目指すものがないのに到達する道理はないのです。
明日は5月第一日曜日心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」、午前10時からです。大型連休のまっただ中ご家族で手を合わせ「東日本大震災の復興」をお祈り致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援致します。