天性

おはようございます。

昨日は開運、幸せの扉を開くことを書きました。人生思うように行かない、思ったように出来ないと考えている方がおありではないでしょうか。このように考えているようでは決して楽しい人生を送ることはかなわないのです。
「天性」。
人生は「天性を磨くこと」です。自分の意図でこのように生まれたのではありません、「天命」です。性は「陰陽」「長短」「勇弱」「知愚」と、様々な「象(かたち)」として表れます。しかしその「本源は一つ」であります。
誰しも優れている人を見ればうらやましいと思い、優れていれば自惚れます。しかしどちらにしても自分の才能を嘆いている人は、嘆いているだけで何の進化もせず、自惚れているような人はその程度で自惚れているようでは堕落するのです。
本源の「真理を明らかにすれば万理に通じ」、心は「融通無碍」となるのです。人に勝ちたい、人より上に行きたい、お金儲けがしたいなどという事柄は「邪念であり心の偏り」なのです。
心が偏り凝り固まれば、進化は止まり、「心の鏡に美しさも、素晴らしさも写らず、人の素晴らしさもわからない醜い人間と化す」のです。
自分の人生を「できることで確立する」ことです。他と比べて修練するのではなく、ひたすら「自分の天性を信じ委ね日々錬磨を習慣に」すれば、見事に開花するのです。教えられたことを「日常の中で実践反復することを習慣にする」ことが「天性に磨きをかける」のです。
そうすれば二極(陰陽、長短、勇弱、知愚)に心をとらわれることなく、「思いを一つにして」日々無念無想でありながら楽しい人生となり、楽しい人生を送る「人の周りには、花に蝶が留まるが如く、側には人が慕いよってくる」のです。
素晴らしい天性を持ちながら我欲邪念で人と争い寂しい人生とするようであってはなりません。人生必要とされる人間となるには、先ず「自分自身が人様を必要と考え行動できるか否か」なのです。好かれようと懸命に仕事をしたとしてもそれは邪念であり、心には響かないのです。
天性とは「身についている能力」です、それに磨きをかけるということは理屈ではなく、「現実に体が反応すること」なのです。体が反応するということは、体、精神の喜びの発露でもあり、発現でもあるのです。理屈で捉えてからではない、「敏速に危険を避ける」ようなものであり、「状況に叶った動きをする」ことなのです。
本源の真理を知り、無心に働き、万理に通じることを体得すれば周囲の人すべてを必要と考え、あなたの天性は内面からイキイキと輝くのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、学びを習慣にして第二の天性としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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