真似

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。どうぞ学んだことを日常に「真似て」行動ください。そうすることで「真の工夫がなり、血肉となり、精神ができる」のです。
「真似(まね)る」。
真似るが「学ぶ」ことです。私たちの修行は先ず「体を調える」ことにあります。まっすぐに「背筋を伸ばす」この一点に「心を込めて」真似ぶのです。この「素直な真似ぶ心が人生を確立する要」でもあるのです。
この背筋を伸ばすということを真摯に日常の徳目として素直に行うことがなければ「精神の素直さが養えない」のです。背筋を伸ばすなどということは耳で聞いて直ぐにやれることでありますが、この簡単な言葉を真摯に聞きいれて真似ぶことが「出来るか否か」で後に聞く「師の言葉の響きが違い理解度が変わってくる」のです。行住坐臥背筋を伸ばすのです。
修行半ばで挫折する修行僧はすべてこの「簡単なことを疎かにする故に体が出来ず故に精神も出来ず」、結局は中途半端な人生で終わるのです。
体を整えることができますと、「呼吸が整い、心を整えることができる」のです。背筋を伸ばすという一点に素直に従った故の結果が実社会で「呼吸を乱されず冷静に判断が出来る」、「心も整えられ、乱されず、己を見失わなくなる」のです。
こうなりますと、「陰日向無く修行が出来るようになる」のです。何故かと申しますと「体が出来ているから」です。何事も体が出来ていませんと、「心、精神ができない」のです。
精神が出来なければ、師の教え、お経の教えを日常に実践できないのです。なぜならば、何事も「体を通して修行、仕事はしなければならない」からで、理屈で修行や仕事をするのではなく、「体で行う」のです。
体が出来ていませんと、精神は辛いこと、嫌なことを嫌っていますから、「裏表のある己が出来る」のです。
故に姿勢を正す、背筋を伸ばすという、この簡単でありながら「行動の基本」である姿勢が出来なければ、陰日向のある人生を知らず知らずに己で作り上げていることになるのです。
このようであっては自己確立などは到底無理な話なのです。学んだことを日常で素直に真似ぶことをしましょう。言葉でいくら立派なことを言ったとしても、行動が伴っていないから信用を積み上げることが出来ないのです。言葉を発すれば発するほど行動がなければ人間としての信頼を失っていくのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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