為すべき事

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。昨夜学びました「寵辱驚(ちようじよくおどろ)くが若(ごと)し、大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身(み)の若(ごと)し。」は心しなければならない教えです。無用の用が用を為すことを知り、五官に惑わされず、五官を生かす工夫を致しましょう。
ご出席いただけなかった方に、上の文の意を「世の中の人は名誉や、はずかしめに対しては、胸をどきどきさせて全く落ち着くところがない。又この寵辱は、人間にとっての最大の関心事ではあるが、この大患を余りにも重要視しすぎて、あたかも、我が一身、自我そのものの如く考えている。」。
ということです。老子は誉められたり、辱めを受けたりすることに心を患わせ己を見失う愚かさを説いたのです。人は評価されることが人間の本質と誤って考えているが故に悩みとしてしまう愚かさを説くのです。
「為すべき事」。
人は誉められれば嬉しく、誹られれば嫌な思いをするのは当然の人情です。しかしこの両極に心を奪われてしまいますと、せっかくの能力を自ら捨て去る、という愚を犯すのです。
誉められたり、誹られたりするのはどちらにしても「一過性のもの」であり、それが「ことある毎に、仕事の度に続くことなどはありえない」のです。「その時、その時」で誉められたり、そしられるという現実はありますが、そのたびに有頂天になったり、落ち込んだりしていたのでは身が持ちません。
どちらにしても私たちに能力がないのではなく、ある時は失敗をしたり、成功したりするのです。
でありますから日頃から学び鍛錬、修養することが大事であるのです。そして寵辱の二極に一喜一憂して心を奪われることなく、己の才能を磨き高めることが人の本質であることと心すべきなのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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