心を落ちつける

おはようございます。

一昨日は二四節気の芒種(ぼうしゆ)でした。東日本の皆さんは未来への「希望の種をまいて」ほしいと祈っています。私たちも日々新たな種をまくことを忘れてはなりません。
種を蒔くということは「為すべき事を為す」ということです。大切な人生を惰性とせず「新たな気持ちで日々事に当たる」、その思いであればどなたも未来に花が咲き、大きく実が実る種をまくこととなるのです。それにはやはり先日も書きましたが「意識する」ことではないでしょうか。
人生の喜び楽しみは「育てる」ところにあります。人生は自分の人生でありながら、自分を「客観的に見て育てることが出来るという楽しみがある」と私は考えています。
自分を自分が思い通りに出来ない、また自分を取り巻く世界も思い通りとはならない、そんな中で自分の思いを持って育てる、日々チャレンジする楽しさです。
昨日から今夕までの一泊二日で49名の新入社員の皆様の仕上げの研修を行っていますが、改めて意識することを考えていただければと願っています。意識をしますとこれまで見えていなかったものが見えてくるものです、これが不思議なことなのです。本当は不思議でも何でもなく意識していなかった故の見落とし、見逃しなのです。
「心を落ちつける」。
私たちは日常に瞑想をします。それは「心を落ちつけるためでも」あります。また「漫然と生きない、過ごさない」ことでもあります。
日々平安で何の事件も起きませんと、心は「ぼんやりとしてものが見えなくなりやすい」のです。ぼんやりしていますと、「目に見えない小さなミスを繰り返すようになり」それが次第に「大きな失敗を引き起こす誘因となる」のです。
ですから、「心を静かに落ちつけて、澄んだ明らかな目でものを見るようにすべき」なのです。その方法が「数息観(すそくかん。姿勢を正し背筋を伸ばし、呼吸を数え、心を調える法)」による瞑想です。
私たちの心は一旦事がおきますと、心はやはり大きく動揺し、常軌を逸してしまいます。
このような事態が生じた時は、心を澄ませ、目を明らかにすることができるようにしなければいけません。動揺を少なくするには日々の鍛錬が大事です。事があったときの事後の行動如何で、その後の人生を大きく左右するからです。心を鍛錬することを知らずしては物事に冷静に対処ができないことを知るべきです。何よりも「ぼんやりしていることにすら気づかないようでは困る」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援致します。