水を見習う

おはようございます。

梅雨ですから雨の多いことは当然です。私の信心は水神様で「辯財天様」ですからなおのこと水には畏敬の念を払っています。水のように、水のようにとの思いがあったればこそこれまでこれました。
老子も「上善は水の如し」と。水は柔軟であり、下へ下へと流れながら万物、万人に利沢を与えるという能力を発揮している、凄いパワーです。この力を見習いたいですね。
「水を見習う」。
水は争わず万物、万人に感謝され大切にされています。それは誰にでも必要とされているからに外なりません。水の「徳」の尊さを知り人間性を養えば争わず多くの人に必要とされるのです。
水は争わず低いところにおります。人は上に上にと我欲を満たそうとして、己の才能を生かす前に「感情で争って」、どんなに高い能力があったとしても風下に立つことを望まぬ故に争い能力を生かす前に互いが傷ついてしまうのです。
これではまったく水の生き方とは違い、才能を発揮するどころか争いのタネを作ることに終始しているのです。謙譲の美徳ということもあります。才能はいくら譲ったとしても「隠しようがない」のです。日々徳を磨き研鑽しておればいつかは満ちあふれ外にこぼれ出すのです。水は穴があれば満ちてから流れるのです、そこで終わりません(時期を待つ)。
誰しも人と争いたいなどとは考えていないはずです、また争う心が起きるのは己を知らず、相手をも知らない愚かさです。人生は勝てば生かされるかといえば、そうではなく「嫌われるだけ」、人生は「慕われてこそ」です。慕われて「尊敬される」こととなるのです。
争うということは「使命を忘れている」から争うのであり、使命を確かにしている者は争わず使命を果たすのです。孫子も「戦わずして勝つ、これ善の善なり」と。
であることを知ったならば謙虚に水の特質を学び、上善は水の如しの如くに在ろうではありませんか。そうすればあなたを世間は放ってはおきません。雨の滴の行く先を見て柔軟性の大事を再確認しました。柔軟性を失ったときは目標、志を忘れていることを知るべきです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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