己のため

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席ありがとうございます。以前にも書きましたが各地で行います「にんげん学」講座は皆さんにご案内はしますが、出欠をとってはいません、ですからなおさらご出席いただく皆さんの学ぶ姿勢、自主性に感動するのです。
独を慎む、相手云々では学びも仕事も上達はしません、確かに自分が必要と感じ行動しなければ「力」とはならないのです。
「己のため」。
論語、憲問第14、第25条「子曰く、古(いにしえ)の学(まな)ぶ者(もの)は己(おのれ)の為(ため)にし、今(いま)の学ぶ者は人(ひと)の為にす。」と。
意は「孔子言う、いにしえの学者は己の修養のために学問したが、今の学者は人に知られるために学問をしている。」
これは古今学者(広範囲に学ぶ者の意)の、学問に対する心の持ち方の相違を述べて、今の学者の「功利主義を嘆いたもの」であります。なお又、学んだ所のものを身に実行して行くのは己のためにする学問であるが、耳に聞いたことを直ちに口に出す口耳四寸の学は、人を益するのみで、己の益とはならぬ。これが人の為にする学問であると解することも出来ます。
自主性を持つ持たずは行動を見ればわかります。自分の修養のためにする学びをしている人は自主性を持って学んでいますし、功利主義で学んでいる人は、目先の結果を追い求めていますから、己の修養を求められる学の必要性は感じないのです。ですから景気の良いときや条件が調っているときは上手く行きますが、今日のような時代では対応できず自滅するしかないのです。
若いときは周囲は育てようとの温かい思いやりの世界にありますから、人に対して耳障りの良い言葉や、行動をしていれば受け入れてはくれますが、将来上に立ったとき、本当の実力を備えていなければ、部下に倍する活躍、指導する知力、技術力、人間的魅力などは到底具わって居らず、いつまで経っても下でウロウロする人生を送る羽目になるのです。
それ以上に管理職になった途端「悩んでしまう」ことになりかねません、今日までの「功利的な生き方、口先だけの生き方が実力を殺いできた」からです。
先日書きました、「遠慮」です。遠き慮んばかりがなければ、近き憂いばかりの人生と化すのです。
評価を気にする前に己を磨くための修養に力点を置くことです。己を磨けば自然光り輝きオーラが発せられ人は慕い集まってくるのです。論語、学而第1、1条に「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」と書かれてあるが如くです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。