臆病も

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。
昨日の「老子、15章」不思議な老子独特の表現でした。道を体得した者は、どこか「ぼ〜っと」しているように見える。そうかもしれません。悟っていない者は早く早くと事を急いでただ疲れるだけの人生を送っているのかもしれません。
「臆病も」。
先の老子の話は、道を体得した者は急ぐ必要がありませんので、一見愚か者のように見えてしまうという話なのです。そして薄氷を踏むが如く、怯えたようにも見えるというのが老子第15章の話でもあるのです。
孔子も同じようなことを論語で言っています。論語述而第7、第10条で弟子の子路が、もし三軍(大軍)を率いて戦うときは、どのような戦士と一緒に戦いますかと質問したのです。
孔子の答えは、「大軍を率いて最も戒めなければならないのは血気の勇である。虎と素手で以て戦うような、また河を徒歩で渡るような、向こう見ずの乱暴をして、死んでも悔いることの知らないような者とは、私は共にせぬであろう」というのです。
ではどのような人であれば孔子は共に軍旅をするのかといえば、「おそれるまでに心を用いて慎重にし、又十分に計略をめぐらして、その計略を成し遂げるような思慮深い者と事を共にしたい」というのです。
同じ過ちや、失敗を繰り返す、進化をしない人の共通している意識は、思慮が足りない、おそれがなく、準備も計算も修練もせずただ何となく漫然と行動している人が多いのです。そのくせに口では不平を言っているという、自分の愚かさもわからないという事を感じます。
臆病というのは、確かに目標を達せんとしているから起きる心理であって、何の準備もしていないから起こる心配や、悩みとはまったく違うのです。
いろいろな準備や鍛錬を行うが故に一見臆病に見えるだけのことです。口先で威張るような人は何の準備もせず立ち向かう蛮勇の人が多いのです。ですから、このような人は口ほどには信用はされないのです。ただ最初はその大言に驚くのですが、日を重ねますとメッキがはがれるのです。
蛮勇を正しいと考えている者が上に立つことほど会社や部下を翻弄し、あげくの果ては破滅に導くのです。それほど蛮勇、言葉の勇気は身の破滅を招くのです。
今夜は「にんげん学」大阪講座、大阪地区の皆さん会場でお会い致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。