くらべない

おはようございます。

昨日は66回目の終戦の日。大戦で犠牲になられた方の上に私たちが在ります。今年は東日本大震災、大津波という未曾有の天災に見舞われ、一層反戦の意を強くし、そのためにも先ず身近な人達との和合を大切にすべきです。
争いを生まないために、私は時にはというより、ほとんどが「無用の長物」である、ということを自覚をしています。いわゆる「何でも出来る、役に立っているとは思わない、考えない」という意味。
このように思いますと人の素晴らしさ、人の能力の高さを実感し、そして又自分を高めることが出来ます。
何でも出来ると錯覚していますと、周りの人の動向に振り回されるのです。どういうことかといえば、元々人様より劣っているにもかかわらず、何であんな奴にやらせるのだ、俺の方がうまいのに、と愚かにも勝手に腹を立てたり、腐ったりしかねないのです。
「くらべない」。
論語、憲問(けんもん)第14、31条「子貢(しこう)、人を方(たくら)ぶ。子曰く、賜(し)や賢(まさ)れるかな。我は則ち暇(いとま)あらず。」。
意は「子貢は言語に長じた人であり、才能の外に発する質の人であったから、とかく人の長短を論評し比較することが多かった。この子貢の態度について孔子は、賜(子貢の名)は、本当に自分より才能がすぐれている。自分にはとても人を比較論評するほどの暇はない、と言った。」。
孔子は時には無用の長物の如く、「ことごとく聞く」というように、尋ねることを多くしたのです。また「賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる(里仁、17条)」と言っている如く、自ら修めるに忙しく、人を云々するような暇はなかったのです。
私たちが人様を云々する場合の心情は、自分より賢いから、というよりも、劣っていると侮っていることの方が多いのではないでしょうか。これではいくら優れている人が周囲にいたとしてもお手本と出来ず、嫌みを言う愚かな人間となるしかないのです。そして自ら争いのタネを作ってしまうのです。
自分に出来ることや、人様より優れていることなど、ほとんど持っていない私は、いつも無用の長物と考え、出来ることを精一杯行うようにしています。
そうすることで人様の素晴らしさが又見えてくるという楽しいことを多くしています。世の中には優れている人が一杯います、楽しいことです。
お盆も今日で終わり、ご先祖様がお帰りになります。しっかりと感謝してお送りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。