大道廃れて

おはようございます。

昨今いろいろな場所で影響を与える立場の人達の発言が問題を引き起こしています。これらは一様に普段の言葉に対する意識の低さ、言ったことを行動にしていない、また聞いている方も言葉を重要だと受けとめていない、ということが伺えます。
これらはモラルの低下というより、むしろ人間性の低下と考えた方が分かりやすいでしょう。モラルは人が決めたことです。しかし人間性は個々人が「どのような人間となりたいか」であるからです。人間性を尊重していない、人間性の重要性を知らないのかもしれません。
人としての理想像が無くなった。国が理想の「人作り」に関心がない、会社も、家庭も同じ事が言えるでしょう。これではいくら庶民が嘆いたところで上に立つ人が確かな人は現れてこないでしょう。このことは国力の低下ですし、生産性の低下につながっています。
「大道廃れて」。
「大道廃れて仁義有り」とは「老子、第18条」にある語です。悲しい語ですが、一理ある語です。このような事態になる前に気づくべきなのですが、人間は賢しらで愚かであるが故の「老子の示唆」です。
全文を揚げてみますと「大道廃れて仁義有り。智慧出て大偽有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱して忠臣有り。」。
意は「真の大いなる道が存する限り、いわゆる仁義などの道が世に取り沙汰される筈はない。仁義などが世に唱道されるのは、大道のすたれたためである。それと同様に、世の中に子の親に対する孝行、父の子に対する慈愛などの唱えられるのは、六親すなわち父子・兄弟・夫婦の骨肉が互いに和合しないからの結果であり、又忠臣などが多く世の中にたたえられるのは、国家混乱しての結果である。平静な国家においては特に忠臣などの生ずべき余地はない。」。
智慧出て大偽有りは」、他の四句と形を異にしています。「人間さかしらな知識、利口さが出てくると、必ずそこに大いなる偽りが生ずる」と読んだ方がいいでしょう。上に立つ者のよく庶民を弄ぶことでもそれを知ることができます。昨今の指導的立場にある人達の発言がこの通りです。
第一句を上のように解釈しますと、「真の道がすたれた後に、その次に仁義が出てくる意となる」のではないでしょうか。仁義が廃れることは悲しむべきですが、大いに仁義有る社会であってほしいと願っています。
老子、第28章に、「道を失いて而る後に徳。徳を失いて而る後に仁。仁を失いて而る後に義。義を失いて而る後に礼」と。一日も早く目覚めなければ日本は沈没しかねません。
このことを念じ今朝の書き込みをしました。「子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為すべし」と論語、為政第2、11条にもありますように古典を読み人として、上にある者として「どうあるべきかの人間性を養い考える」社会であってほしいものです。
今日これから「香港」に行ってきます。始めていく国、どんな空気かを味わってきます。明朝は香港からのメッセージです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
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