見えない糸

おはようございます。

明日は愛宕寺「月例幸福祈願祭」です。今回は地蔵盆ですのでお護摩はありません。しかし「大数珠繰り」があります。大きな数珠を参拝者全員で輪になってお念仏を唱えながら回すのです。ご先祖様の供養そしてお子様をお守りいただくためです。
是非一度体験して素晴らしいご利益をお受け下さい。書いてあるだけではどのようなことをするのか見当がつかないと思われますので、百聞は一見にしかずです。
「見えない糸に」。
私たちは見えない糸につながれて出会いを重ねます。このことを確かにしておくべきです。いい人と出会いたい、と願うのは誰しも願うこと、私も願います。であるならば先に良い人でなければいけません。
どんな人間になりたいか、ということです。あなたにとってどのような人がいい人ですか?、そしてあなたが目指す良い人物像はどのようなイメージ、像でしょう。このようなことを考えたり思ったりしたことはありますか?いかがでしょう。
人間はあれもこれもと出来るわけがありません、だからこそ専門職の知識や技術を高めていくのです。そしてその知識や技術は現実の仕事世界で磨き上げられていくのです。
「にんげん学」講座でもよくお話しすることですが、「上に居りては克く明に、下となりては克く忠なり。人とともにするには備わらんことを求めず。身を検するは及ばざるが若(ごと)くす」。
これは「書経」にあります古代中国の「殷王朝を興した、湯王(とうおう)」を評したものです。第一は、上司として部下を使う場合、よく「明」であったということです。「明」とは深い読みの出来る能力、つまり洞察力のこと。
第二は、部下として上司に仕えたとき、よく「忠」であったということです。「忠」というのは、組織に対する忠誠心というよりは、誠意とか誠実といった意味です。ですから、与えられた職責をまじめに果たしたということになるでしょう。これなら上司のおぼえもめでたかったに違いありません。
第三は、同僚と一緒に仕事をするときには、相手に完璧さを期待しなかったということです。こういう場合、ややもすると自分の到らないところは棚に上げて、相手の過失をとがめがちなものですが、湯王はそういう欠点を持たなかったということです。これなら同僚の信頼も厚かったにちがいありません。
第四は、いつも自分を厳しく反省し、まだまだ修養が足りないのではないかと戒めたというのです。だからこそ進歩向上にも見るべきものがあり、自分の器を大きくしていくことが出来たのではないかと思います。
普段の在り方「意識」という目に見えない「糸で結ばれていく」のが人生です。何の努力もなく、いい人と出会いたいと願っても叶うはずもないのです。どのような意識で修養し、人様に対するかです。明日はご一緒に大きな数珠を回し、ご先祖様の供養、そしてお子様の安泰、自身の安泰を祈りましょう。素直な行動から良いご縁がいただけます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。