予感

おはようございます。

台風12号は広い範囲に大きな爪跡を残し犠牲者も出てしまいました。被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。
古人は天災は「人心の乱れ、為政者の乱れが引き起こす」と考え反省しました。ここ数年の政治の乱れを観、そして天災の多さを見ますと、それも宜なるかなと思わざるを得ません、私たちは真摯に反省をすべきでありましょう。
天災だから仕方がないと考えるよりは古人の考え方は人間的であると思うのは私一人ではないのではないでしょうか。何事の災いでも人災と考える人間性が次への対策となり、子孫への豊かな大地を残すことになります。ただ単に金儲(合理主義・功利的)けとはならないのではと考えるのです。
心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お参りありがとうございます。台風で出にくい中をお参りいただき感謝いたします。とてもありがたく感動しました。
大阪のKさんは毎月お参りお手伝いを下さいます。普段ですと2時間くらいで寺に着くそうです。土曜日は台風のまっただ中、電車が間引き運転、その上いつ走るのか分からない状態の中、5時間もかけておいでくださいました。ありがたいことです。
「予感」。
日々の祈りの中で必ずといってよいほど「予感」を感じています。人間は予感によって「未来を制御している」のです。ですから私は予感を大切にしています。何かを大成したいと願っているとき、わずかでも「ダメかも知れない」と思ったとき、その「願いは叶わない」のです。祈る人はダメと思わないから祈り、そしてご利益を得るのです。
大切なのは「力んで未来を切望することではなく」、「未来と会話すること」です。未来を空想することは、心が「今という時からズレること」でありますが、予感は、「自身の体感を今感じること」なのです。未来は「今が創る」のです。
今の「体感の奥の奥へ入るとき」三昧の境地となり、恍惚感が生まれ、悦びとなります。この悦びを体感すれば忘れられず自然大成する方向へ歩むのです。
祈りは時空を超えた領域ともいえます。一度や二度の祈りでこのような状態にはなるはずもありませんが、それは個々人の世界でもありますから、一概には言えないところです。
信は自分が思っている以上の力と、ご利益を与えてくれることは間違いはありません。それは小さな自分という我の束縛から離れ、計らいを棄てたときにやってくるものでもあります。
だからこそ実力以上の世界が現実のご利益となって現れるのです。今夜は「にんげん学」京都講座、会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。