打てば響く

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。来月もお会い致しましょう。
私たちが学んでいる「にんげん学」はどのようなことかといいますと「応対・対応、レスポンス」です。人生は第一印象の応対・対応、レスポンスで左右されるといってもいいのです。知識を活かす、自分を活かす、人様を活かすためには応対力、対応力、レスポンス力がその根底になければいけません。この三つを知らず、疎かにしているため縁を縁とできず人生を虚しくする人がいます。
「打てば響く」。
江戸時代、白隠(はくいん)禅師という禅の大家がおられました。この方が「隻手音声(せきしゅおんじょう)」という公案(問題)をつくりました。「何にも当てず隻手(かたて)で打った音を聞けと?」いう問題です。皆さんはこの問いの答えはどのような解かれますか?、解いてみてください。
隻手(かたて)は隻手でも価値はあります。左右双手であれば一層その価値を増します。しかし隻手音声の問題は自分自身だけの問題だけで捉えているのではなく、隻手という言葉を通して「自分自身、そして無限の人」を言っているのです。
ですから「自分自身とは?、人とは?」という問いかけでもあるのです。自分自身の双手を打ち合えばもちろん音が出ます。しかし隻手を「他の物に当てたらどうでしょう」、そう当然「違った音が出る」のです。
これは何をいっているのかと言いますと、固定観念で己を決めつけるな、決めつけてしまうな、ということです。他の物に当てれば「無限の音が出るのだ」、ということを知れとも言っているのです。
私たちは素直になることで「打てば響く」のです。人生の使命は「人を活かし、己を活かす」こと。私たちは「無限の可能性を秘めています」。
素直になるとは、知っていること知らないこと、出来ること出来ないことを明快にすることです。また明快にしなければいけません。なぜならば無限の可能性の「扉を開くのが素直だから」です。
私たちは打てば響く、打たれれば響く「命を持っています」。それを誤った観念を持つようになりますと、素直さを自分で消してしまい、打っても響かない人間像を作ってしまうのです。
素直な人間は知らないことに出会っても、「知っている人や会社を紹介し」、出来ないことと出会ったら、「できる人や会社を紹介する」のです。
打てば響くのが私たちです。打たれたら皆さんはどのような音を出しますか?、いかがでしょう。打てば直ぐ音が出るのです。「瞬間の積み重ねが人生」といっても良いのです。この小さいと思われる積み重ねが人生であるのです。
知るを知るとなし、知らずを知らずと為す、これ知るなり、と孔子は明言したのです。素直になれば敏速な応対・対応、レスポンスができ、無限の可能性の扉が一つ、そして又一つと開かれるのです。先日も書きましたが自身の器量を知れば独り占めをしようなどと愚かな事は考えず、素晴らしい人生の音色を醸し出すのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。