供養

おはようございます。

9月20日、今日は秋のお彼岸の入り、今日から一週間ご先祖様への供養を新たな思いで行うのが彼岸です。午前10時から愛宕寺では「彼岸会法要」を行います。是非お参りください。
「供養」。
私たちはご先祖様の上に生命を承けています。私たちが誕生できたのは「和合から」です。また少し過激な表現かもしれませんが、「多くのご先祖様の死の上に生がある」ということです。大いなる生は「大いなる和合と大いなる死の上に存在している」のです。
この事実を知りながらご先祖様の供養をしない、出来ないようでは「大いなる生、和合の世界を自ら閉ざす」のです。「和合を断つ」ことは「人脈を切る行為」です。体を考えれば直ぐ分かることですが「脈が止まれば死」です。
ご先祖に感謝をして供養をしないようでは自らの手で「人との和合を断ち、命脈、人脈を断つ行為をしている」のです。このことを古いしきたり、迷信だと笑うことが出来ますか、古いしきたりだ、迷信だと笑う方が私には常識ある人間として子孫として考えられません。
東からお日様が昇り、西の彼方に落ちていく、古人は素直に真っ暗闇になることに恐怖を覚えたのです。そして又東からお日様が昇ることを西に落ちるお日様に向かって祈る、素朴で素直なのが人間です。文明の力に助けられているとはいえ、自然の力には為す術がないのです。
和合、人脈、命脈が続いてこそ家があり会社があり、国家があるのです。その根本の命脈を祈ることが出来ないようであっては、いくら現実社会の中で人脈を欲しがっても無駄なことなのです。なぜならば「和合を否定している」からです。
東の空に新たに昇ったお日様へ感謝の手を合わせ祈る。古くさい、迷信と簡単にかたづけられません、簡単に片づけるような人間こそ、非科学的なのです。
身を切るような愛する親を亡くした哀しみ、また赤子を抱いたときのあの歓喜はどこからくるのでしょう。理屈では捉えられない、表現できないのが、魂の喜びであり、魂の哀しみなのです。
真東から真西にお日様が昇り沈む、春秋二回のこのときを世界中の人びとは宗教を超え、習慣を超え畏れそして敬い、子々孫々の安泰を願ったのです。これが人としての自然な営みであるのです。お彼岸は大変重要な営みです、心して勤めましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。