責任感

おはようございます。

お中日の昨日とても良いお天気で午前中は肌寒さを感じ、陽射しが強かったもののお参り日和でした。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。今のように情報の少なかった時代、言い伝え歳時記を心して聞いていたのでしょう。「伝えなければ、残さなければという心、意識は真の大人の心、気持ちから出た」のではないでしょうか。
心華寺「彼岸会法要」お参りありがとうございます。皆様の大切なご先祖様の回向をさせていただいたことに僧として誇りを感じます。
「責任感」。
責任感は「良心」といってもよいでしょう。責任感や良心は生まれついたものです。ですから責任感や良心は人から言われて持つものではないのです。この「責任感と良心」を「強く持った者が」大きな仕事や偉大な人生を確立するものです。
何事かの「仕事を与えられたとき確かに持つ責任感と良心」、この二つは自分自身であり「偽ってはいけません」。自身の気持ちを偽ることは「自分で自分を裏切る」という行為です。ですから何事に対しても表裏なく「精一杯行うことが大事です」。「自分を偽って人生が確立するなどはあり得ない」のです。
行動の結果には賛否が出ます。また賛否は人が行うものです。賛否云々に対しては「謙虚に聞く態度が真の責任感、良心」です。
賛否の時点に於いて否に対して異論を挟むようでは、「己で限界を作っているようなもの」だからです。
責任感と良心は、自己に対するものと他者に対するものとがあるのです。否とでたときは今まで以上に責任感と良心の情熱を燃やしてこそ「己の器が広がり、責任感と良心の存在が他者に認識されるオーラとなる」のです。
最初から否に対して反論をしていたのでは何のオーラも存在感も醸し出す人間性を養えません。また最初から認められるようなことがあったとすれば、これまたそれ以上にならず、限界を早めたということにもなるのです。
また責任感、良心は「逆境の時にこそその真価が出る」のです。ほとんどの人はこの逆境に負けて責任感と良心を放棄し、誇りを傷つけてしまい自尊心を失うのです。
せっかくの能力も責任感と良心を自ら放棄して人生を投げ出してしまうことになってはいけません。責任感と良心は能力として備わっています、失わないのです。思いを強くして行動すればするほどオーラとなるのです。
責任感と良心をたぎらせるためにも今日は祈りましょう。幸い連休です午前10時に愛宕寺の「月例・幸福開運護摩祈願祭」でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。