リーダー像

おはようございます。

多くの皆さんがリーダーを目指しておられると思いますし、目指すべきです。人生は「求めなければ何も得られないのが道理」です。
では私たちは何を求めているのでしょう。そう、自分の「安心であり安泰」です。では自分だけの安心、安泰だけを求めても得られるのでしょうか、それはノーです。自分の「利だけを求めていたのでは放浪の人生となり、最も苦しい人生となるのは火を見るよりも明らかなことです」。では何を求めるのが一番なのでしょう。
それは「大義」です。大義とは「みんなと一緒に仕事が出来、利を分かち合える世の中を作ること」です。そのために仕事が無くならないように考え、率先してリードする心を失ってはならないリーダーを目指す学びをすべきだということです。リーダーというのは指図をしたり、命令したりする人をいうのではなく「仕事を作り、会社を作り、人を育てること」です。
「リーダー像」。
皆さんはリーダー像というものをどのように考えていますか?いかがでしょう。リーダーは先ず「選ばれる者」でなければいけません。社員の方や周囲の皆さんに「選ばれ慕われるようでなければならない」のです。
ですから選ばれる、慕われるような「器量を持たなければならない」のです。人よりも秀でた才能を持った人が、「この会社に入りたい、この会社で自分の人生を確立したい、この会社と取引したい」と思わせるような「徳を身につける」ことです。
人は「徳に惹かれる」ものです。「才は一つのものですが」、「徳とは多くの才を集めたもの」です。ですから「人の才を見極め、才を認める徳が肝要」となるのです。
ただ単に「よい人材をと求めたところで、優秀な人材は集まってこない」のです。選ばれ、慕われるような人間になるために日々研鑽を積むことです。研鑽することもなくでは選ばれもせず、慕われもせず、人が集まるどころか、去ってしまうのです。
では理屈が分かったから徳が磨かれ身につくのかと言えばノーです。学ぶとは何時も申しますように体得することをいいます。徳が身についたかどうかは人が判断することであって、徳が身につくことを信じて「仁愛の道を歩む」ことを生涯とすることです。要は「人の才を見抜き、認め生かすことができるかどうか」であるのです。
論語、里仁第4、16条に「子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。」と。意は「孔子言う、君子は万事を処するに当たって、まず以てその事が義すなわち正しい道筋に叶っているかどうかということを敏感に悟るが、小人はまず以てその事が利益になるかならぬかということを敏感に悟りとる。」。
これは君子(リーダー)と小人との分かれ目が、義に着眼するか、利に着眼するかに在ることを明らかにしたものです。
私たちは誰でも「利を考えるのです」、しかし同じ利でも義を根底にするか、利を根底にしているかで、人生の安心、安泰を大きく左右するのです。同じ利を考える人間で在れば、当然義を根底にすべきです。利、目先の欲を追求する人生からは安心、安泰の人生はないのです。放浪し獲物を求める獣の如き人生が待っているだけです。
人間はいくらでも立派なことは言えます、しかしそれを実現するには確かな義という設計図と実現する人材がなければ負け犬の遠吠えに過ぎないのです。
リーダーは精進する者です。精進とは「どのような困難な事があったとしてもやり抜くこと」を精進というのです。いずれにしましても「小人には小心しか宿らない」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
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