精神の涵養

おはようございます。

一昨日ビワ灸療法師であります熊本のTさんがお参りくださり、マッサージとビワ灸をしてくださいました。富山へ出張帰りに立ち寄ってくれました。お陰で体がスッキリ、時折近くを通れば立ち寄ってくれます、ありがたいことです。
私が留守をしていてもお掃除をして下されたり、ローソク立てをきれいにしてくれたり、護摩木を割ってくだされたり仏器磨きをしてくれたりと沢山の皆さんがご奉仕くださり寺を守ってくださいます。皆様に守られていることが喜びであり幸せです。お金では買えない宝物。
お経や論語の素晴らしさは「中正を失わないこと」を教えてくれているからです。この中正を失わない「精神の涵養」に大いに役立つのがお経であり、論語です。人生は中正を失うことでそのバランスを失い、せっかくの人生に破綻を来し、心を騒がせ、人を怨んだり、怨まれたりと愚かな結果を生み出すのです。
誰しも争いを望むような人はいないはずです、その怨みや争いを生まないことが人生では大事です。
「精神の涵養」。
涵養とは「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること」を言います。要するに生涯を通して養うことを言います。人生は競争ではありません、そんなことをしていたのでは「息切れをします」。一生をかけて一年、五年、十年と一段一段上がるように考えていけばいいのです。
そうしませんと「中正を失う」ことになり、せっかくの能力さえも進化せず、人間的魅力にも欠くのです。己を涵養する意識を持てば表面は大河の流れの如く静かであり、しかし内なる心は怒濤の如き流れ情熱を失わないのです。それは目標を失わず、目的を忘れないからです。
以前にも書きましたが目的は曖昧な世界で発揮しなければならないからであります。どういうことかと言いますと、状況や条件は自分ではどうにもならず、如何ともし難いものだからです。その中で判断し行動しなければならないのが人生です。ですから中正を失わない思考行動が大事なのです。
中正を失わずに人様にも自身にも利と出来ることが大事であります。そのためにも「精神の涵養」が大事なのです。精神は内なる世界で行動のベースです。
「世を観じ、己を省みることは、簡単にできそうで出来ない」のです。確かに世の中を観て省みるために中正を保つ「精神の涵養」が大事です。その涵養が祈りであり「にんげん学」です。
今月も心華寺、愛宕寺へ沢山のお参りお手伝いをいただき感謝致します。「にんげん学」講座へのご出席もありがとうございます。月末に皆さんから一ヶ月優しさをいただいたことを楽しく思い精神を豊かにしています、感謝ばかりです。皆さんありがとう。
お陰で今月も毎日欠かさず書き込みが出来ました。暑さ寒さも彼岸まで、凄いですね先人の言い伝えは、お体大切に明日からもよろしくお願い致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。