どのような心で

おはようございます。

10月、今月もよろしくお願いします。
10月は神無月ともいいます。出雲大社に全国の神々が集まって話し合うので出雲以外の国では神様がいなくなるところから名づけられたそうです、さすが日本ですね、そうは思いませんか、神様が仲良く話し合う、よその国では考えられません、さすが「大和国」。
「どのような心で」。
己を養うにしても、人を育てるにしても基本は「どのような心で」ということです。いつも書いていますように才は才であり、才は「才は一つ」だと認めるのははなはだむずかしいのです。一つの才を以て認められますと、一事が万事の如くに何でも出来ると錯覚し、他を受け容れず「人間性を貧しくしてしまう」人は多くいるのです。
何でも出来ると考えることはいいことですが、一つの才を認められたくらいで「傲慢になってはならない」、又部下を使っている人も同じように一つのことが出来たからといって「部下に多くを求めてはいけない」のです。
このように理解していきますと人生「どうあるべきか」が見えてくるはずです。出来ることなどは多くはなく、一つのことで「生かされているのだ」ということを知り感謝すべきです。そうすることで又「周囲の人の素晴らしさが見えてくる」のです。周囲が見えてきますと「多くの人材の中から間断なく仕事の発想が湧いて繁栄がもたらされる」はずです。
論語、顔淵第12、16条「子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず、小人は是に反す。」。
意は「孔子言う、君子は人に美点長所があれば、その美点長所を助け伸ばして成功させるようにする。又人に欠点なり悪事があると、これを諫め補い、又場合によってはそれを世間の人の目から庇って、その人の過ちの出来上がらぬように努めて行く。然るに小人は、これとは全く正反対の行き方をする。すなわち人に美点長所があれば、嫉んでその出来上がることを妨げ、又世の人に知られないように画策する。万一、人に短所悪事があれば、或いは更にそそのかし、或いは又わざとそれが世の人に知られるように努めて行く。これが君子・小人の、他人の善悪に対する態度の相違である。」。
これによって見れば、君子の居るところには人の美が出来る。従って、一人の君子があることは、その人一人の美に止まらず、天下の美を集めることとなり、一人の小人のおることは、その人一人の害を天下に残すことの外に、衆悪を集めることとなるのです。
私たちの僅かな心の持ち方の相違が、極めて大きい結果を生むものであることを今月も確かにして祈り学びましょう。明日は心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です、午前10時心華寺でお待ち致しております。祈りの徳は絶大です。祈ったくらいでとお考えの方は人の徳を信じておりませんので、周りは面従腹背の方を作っていることに気づきましょう。
今月も明るく楽しい未来を見据えて沢山の人を好きになりましょう。以心伝心ですよ人の世は。好きのパワーも祈りのパワーです。繁栄はどれほどの人を好きになるか好かれるかです。先に好きになることは言うまでもないでしょう。人の心は如何ともし難いですが、自分の心は自分次第です。好きになるということは「共鳴する」、「喜びを共にする」ことです、でなければ仕事の世界で労苦を共にする人などは出てくるはずもないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。