自暴自棄

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座へご出席の皆さんありがとうございます。日々の生活、仕事を通せば通すほど「心学」の大切さが身にしみて理解され納得します。同時に「自暴自棄とはならなくなる」のです。また私を温かく包み込んでくれる真理の言葉は、どれほど傷ついたときでも再び歩む勇気を与えてくれる魂の言葉だと実感するのです。
昨夜の一宮講座では嬉しいことがありました30年ほど前に名古屋の会社にお勤めの時心華寺に数度研修にこられた方が定年されたということで参加下されたのです、Kさんありがとうございます、これからもどうぞお続けください。
「自暴自棄にならない」。
心学を学び歩んでいますと、自暴自棄になりません。
「自分から正しい道を信じようとしない者」が自暴であり、「自分は正しい道に進むことが出来ないと、みずから我を棄てるのが」自棄です。
心学を学ぶ前は何をやっても行き詰まるという繰り返しでした。これだと思うものを始めても続かない、自暴自棄という言葉を知っていたとしても、その意味が解らなかった。
私たちは人と共に在りたいと思いながら人を疎ましくなるときがあります。それは自分と他の人との違いが明らかだからです。自分を磨けばいいのだと思いながらも周りの人の言動に心が奪われる。そしてせっかく始めたにもかかわらず投げ出してしまう。
しかし投げ出しても悔しさだけは残る。どこに行っても嫌な思いはついて回る。その場から去っても何等解決していない現実、悶々とする日々。そんなとき出合ったのが「心学」。
論語、憲問第十四、二十四条「子曰く、君子は上達し、小人は下達す。」。ある時にこの条を読んだのです。
意は「孔子言う、君子と小人とは、その向かう方向がおのずから違っている。すなわち君子は天理に循うから、一日一日と高い所、明らかな所にと向上し、小人は人欲に循うから、一日一日と低い所、汚れた所にと下落して行く。」。
初めの向かう所を異にする豪髪(ごうはつ)の相違(髪の毛のように、極めて僅かなちがい)が、ついに千里の差をいたすのだ、ということを読んだのです。
そうだ、私は人欲、人よりもという思いが強く、強くもならず、うまくも出来ずに続けることができなかったことを知らされたのです。そして自暴自棄となっていたことを思い知ったのです。簡単に言えば素直でなかった。それからは「教えに対して素直になった」のです。そして何かあったとき教えを繙けば必ず答えがあるのです。それが又嬉しいのです。
今夜は「にんげん学」東京講座、東京地区の皆さん会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。