一生

おはようございます。

誠澄が9月1日から行に入っています。簡単に言えば行は「法を身につける、習慣とする」ことです。そして「身につけることの難しさを体得する」ことでもあります。故に日常を「法に基づいて生きる大切さを知る」のです。
また私たちは一つには「導師(どうし)、リーダーをめざしています」。大理を身につけるというのは「難易をハッキリさせることでもある」のです。一つのことが出来たからといって「他のことも出来るとは考えない」ということです。
なぜかと言いますと、「何でもやれば出来ると」偏った考えになってしまいますと、「人の本来の能力を見落としかねない」からです。
もちろん、やれば出来ると考えなければ何事も出来ないのが道理ですが、「自分の上達と人様の上達をしっかりと分けて考えることを知る」ことも行の一つです。
皆さんもこのような考え方で自身と人様を見ていくようにすることも大事です。これからの人様の観察眼や聞き方が違ってくるのではないでしょうか。それと共に対処法が変わり良い方へ運ぶのではないでしょうか。
「一生」。
先人は「差別即平等」と説きました。いわゆる「自他の違いを知れ、人を見て法を説け」ということであり、「適材適所」といっても良いでしょう。しかしこのような言葉を知っていたとしても、いざ自分の事となると別ものです。また現実の仕事、実践となるとこれまた甚だ怪しいものです。
出来ない仕事に対すれば「言い訳をし」、人様の仕事が良さそうに感じると「不満を言い」、人様が素晴らしい仕事をする姿を見れば「賞賛することを知らず」等々です。
楽しく進化が出来るようにするのは「己を知る、人と自分の違いを知ることにある」のです。自覚できるようになれば「現状に不満を言わず、改良、改善の工夫」をするようにもなります。「自覚を身につければ一生工夫を重ねる楽しさ、自分が変われる楽しさに人生は変わる」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。