不言

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。ずいぶんと夜は涼しくなりました。秋の夜長、何かがありそうで嬉しくなります。これも過ごしやすくなったからでしょうか。
今朝も爽やかな朝です。「にんげん学」講座を済ませた朝だからかもしれません、自然は言葉を用いず感動を与えてくれるようです。
「不言の教え」。
昨夜の老子講義第17章には「不言の教え・理想のリーダー像」が説かれています。言わず語らず導くことが出来れば最高です。17章を書いてみます。
「人民がただその存在を知っているだけというのが最上で、
人民が親しみを感じたり誉めそやしたりするのは第二級の支配者。
支配者をこわがる政治は、それよりもさらに低級で、
人民が侮るようになれば最低だ。
支配者に言行一致する誠実さが不足すれば、
人民からもまた信用されない。
無為の聖人であるこのわたしは、
悠々として不言の教えを行い。
化育の功を全うして大事を成しとげるが、
人民たちはみな、このわたしをあるがままだと考える。」。
不言の教えというのは「あるがまま」自然にということです。自然に生きるとは「はからいを捨てること」であります。はからいを捨てるということは「人欲を捨てる」ことで、出世したい、認められたい、勝ちたい、上に立ちたい等々を捨て去ることです。
無心に目の前のことを受け容れ行って行けば自然と大きく成長していくのが自然です。木々も大木になれば自然とはからうこともなくその恩恵を大きく広くしていきます。
人間も黙々と素直にあれば知識も、経験も増え多くの人のお役に立て、「化育の功を全うする」のです。
天地はただあるがままに存在し、もの言うことも喚きたてることもないのですが、春になれば草木が芽吹き、夏になれば枝葉が生い茂り、秋になれば豊かに実を結ぶ。
老子はこのように生成化育の相(すがた)を天地創造のいとなみとして把握し、そのいとなみを「自ずから然るもの」、すなわち自然として理解したのです。
私たちも素晴らしい才と徳を両親からいただきました。その才と徳を生かすために人為人知の欲に惑わされて(競争に惑わされて)自然の生成化育の力を失ってはならないのです。
小さな我のはからいを捨ててこそ自己の本来的な在り方を実現できるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。