止められれば

おはようございます。

ここのところ祈りのことを度々書いています、それには理由があります、もちろんだろうと言われそうですが、それは「閉塞感がなくなる」からが一つの理由です。閉塞感が祈ることでパワーになるということを書きますお試しあれ。
「止められればパワーとなる」。
私は比叡山下山後、香・華・ローソクを購うため夜中に運送会社にパートとして勤めました。檀家寺でない心華寺、信者の方も一人もおらず、寺に入ったのはいいがその日から食べることができない、懐には下山時に師匠にいただいたなけなしの一万円、そこで頭に閃いたのが「道心の中に衣食有り」の教え、教えに従い生きる行動であれば衣食はついてくるという意味です。衣食のために仏道を歩んだわけではありませんが、しかしいくら修行とはいっても霞を食べて生きる仙人の域には達してはいません、それよりも何よりもお花やお香、灯明をお供えし祈りたいと考えたのです。
生きることの根本を祈りにするという覚悟を新たにしたのです。お参りの人が沢山来るように、評判が立つように等々を思うのではなく、自ら「未来を断った」。
未来、将来を考えず「今を生きる」と腹を据えたのです。そして祈り掃除、祈り掃除の繰り返す一日を徹底して、夜は昼の余りと考え運送屋さんでのパートをして香・華・灯明代をいただいたのです。
将来は、未来はなどという閉塞感は微塵もありませんでした。ただあるのは「今を生きる喜び」でした。もちろん現在も同じ心境です。
もし閉塞感を感じている人がいましたら「今を生きる喜びを持ってください」。分からなければどうぞ心華寺へ修行へ来て祈り掃除の徹底した日々をお過ごしください。今を生きることが出来れば何物も切り開くパワーが身につくのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、講座に対する意識も同じです。ですから出欠は一度も先に聞いたこともありませんし、人数が何人であろうと懸命さには何の影響もないのです。毀誉褒貶は人様が言うものですから止めようもありません。
自分の人生の生き様に対しての賛否には真摯に耳を傾けます。それとても人生を修正するためであることを確かにしていますので喜んで受けています。賛否を言ってくれる、これほど感謝することもありません、ましてや苦言をです。益々パワーになるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。