身近な

おはようございます。

私は高校を卒業後直ぐ故郷山形を出ました。故郷を出たときには父は病で臥していましたが、母は元気。故郷から遠く離れましたので啄木の詩ではありませんが「ふるさとは遠きにありて思うもの」は当にその通りで、両親の事はいつも思い出していました。
そして何かあれば両親が背中についてくれている、守ってくれているという思いを強くしたのです。今では両親ともこの世に居ませんが、より以上に背中に在って守ってくれていると感じます。今の私の年令に父は亡くなりましたので、今年は何か殊更に父が思い出されます。
「身近な祖先崇拝」。
祖先崇拝と言いましても、遠い祖先を言うのではなく、両親です。子供の頃から叱り、誉めてくれる。そしていろいろな物を与えてくれる神様のような存在、人生の原点。だからこそ多くの先祖に守られているのだという安心感もある。
比叡山に来て間もなく父は亡くなりましたので、直ぐ位牌を造りお祀りしいつも手を合わせていました。
だからではないでしょうが、人様と縁があって身近な存在を感じるようになりますと私は崇拝とは言わないまでも、信じるのです。信じると言うことは「守ってくれる存在だと勝手に思い込む」のです。
今日までこのような思いをしながら歩んで来ました。お陰様で親、兄弟の如く人様も離れられない存在として長くお付き合いをいただける結果と成っているようです。これも両親のお加護かもしれません。
何があっても許し愛してくれた両親、その愛情のお蔭で今が在ります。いろいろな話をしてくれて、両親の前に出たときは今度こそはと思いながらも出来なかったことが悔しく、両親の前から去った後はまた今度こそはと思い、それがやる気を育ててくれたのではと懐かしく文化の日の昨日、遠いながらも昨日のように思う子供の頃を思い起こしていました。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。