徳を称する

おはようございます。

昨日は東京を夕方の新幹線に乗って帰ってきました歯の治療のためです。私は小さい頃から歯が丈夫で虫歯もないのを自慢にしておりましたが、比叡山修行時に手入れが悪くボロボロになり今では後悔をしています。それで論語のある条を思い出しました。
「徳を称する」。
論語、憲問篇に「子曰く、驥(き)は其(そ)の力(ちから)を称(しょう)せず。其の徳(とく)を称する也(なり)。」。
意は「孔子言う、良馬と称せられる馬は、もちろんその力においても他の馬に勝っておる訳であるが、良馬が良馬として称えられるゆえんは、その力に存する訳ではなく、訓練によって得ている、馬としての徳に存するのである。」
これは、私たちについて言うならば、その道で立派になるものは、もとより才能もなければならぬが、その道で名を称するゆえんは、才能よりもむしろ徳に存り、修練に在ることの喩えを言ったものです。
徳を称すとは、「両親から授かった才能」、この才能は「磨くことによって高められるものだ」ということに感謝の思いを致し怠らないことが大切なことに気づくことが大事だということです。
虫歯が一本も無かったのは両親のお蔭であったにもかかわらず、手入れを怠ったために話をする仕事でありながら「歯なし」ではシャレにもなりません!!!!?。
自惚れはこれほどに恐いものです、自惚れず徳を磨くことを怠らぬようでなければいけません。怠ればあっという間に奈落の底です。一宮、東京と二日連続の「にんげん学」講座を終え、久しぶりの歯医者に行き両親を思い出し、素直に言うことを聞いておけば良かったなあ〜と、苦笑いしながら闇の中に流れ星の如く流れゆく町の灯りを見て新幹線の中、両親の思いに耽りながらの帰路でした。
明日は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。