何の為

おはようございます。

「心華みのり大祭・採燈大護摩法要」ご参拝、お手伝いありがとうございます。心華寺全体のお祭り2千人を超える方のご参加でした。お陰様で終わる頃に雨が、法要時は好天で無風、煙が当に龍神の如く舞い上がる様は長年修している私も感動、素晴らしいお護摩でした。添え護摩祈願を為された皆様はきっとご利益を手に安心してお帰りになられたことでありましょう。
今日は愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです、ご一緒にお祈り下さい。
私たちには両親を通して素晴らしい才能をいただきました。才能は人と比べての有無ではありません。その才能を「何の為に用いるか」が大事です。「何の為、どのように生かすか」を確かにしておりませんと、せっかくの才能が生かされません。
生かされない所か誤解されたり、間違った使い方をしてしまう場合さえあるのです。大きな製紙会社の御曹司が逮捕された如くです。何不自由ない家庭に生まれ、最高学府まで出てその使い方を誤ったために世間様に顔向けできないような事態を生んでしまった。
「何の為」。
私たちが祈り学ぶのは「人に威張るためではなく」、「上に立つためでもなく」、「豊かに生きるため」です。(結果上に立つことは当然あります)。
知識を得、技術を修得したにもかかわらず、活かすことができない、何故でしょう。それは「上下、評価」の「世界に心を奪われているから」です。いわゆる「何の為に、どのように生かす」べきかを確かにしていないのです。確かにしていませんから、上下、評価にこだわり「争わなくともいいにもかかわらず、争いを生む世界に生きてしまう」のです。
知識が幸せに導くのではありません。知識を「得ようとしたときの努力を忘れないその人を生かす」のです。
両親から「授かったという感謝を持てば」、「自分の力で」などという傲慢さは起きないものです。先日も書きましたが「仕事、遊び、静寂」に心を掌れば才能が一段と輝き開花し、人を惹きつけるのです。
人と争い、己の心を騒がせることほど空しいことはありません。日々を豊かに安心して暮らすために、御仏の慈悲という在り方に心を寄せることでそれは可能なのです。能力を生かし安心の人生とするには「何の為、どのように生かすかという心に目覚める」ことが必要なのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。