少しの

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」冷たい風の中のお参りありがとうございます。皆さんと唱和を共にする喜びで人様と共にする機会を多くしています、ありがたいことです。
護摩の炎を拝めば煩悩が滅却、新たな気持ちで人様と出会う、先入観を持つことなく素晴らしい出会いとなる。来月は「納めの地蔵」。一年のお礼と感謝をご一緒に祈りましょう。
人生、無理と無謀はいけません、しかし少しの無理は大事です。「道理に基づいた勇気です」。知識があっても思いやる心があっても勇気が足らずに一歩出ないということがあります、行動とならなければせっかくの知識も思いやりも生かせません。
「少しの勇気」。
不安と希望が入り交じり交錯しているのが私たちの心。完璧に自信があるなどという人は先ずいないのです。では成功に導くにはどうすればいいのか、と申しますとやはり「コツコツ」とです。
そのために祈り学ぶ事です。この二つが「勇気をもたらす」のです。遠くの目標を立てたら「近くの目標を見る」ことです。そして「一歩ずつ」積みあげること。
積みあげていくには「勇気」が必要です。その勇気を心身に「すり込む」ために「祈る時間を作る」ことです。なぜこれが重要かといいますと最後には「己の決断」だからです。「相手の居ない祈りだからこそ大事」なのです。相手の居ないときに行うことが出来るかどうかが「己の心の確立を図る」のです。
相手が居ないときに心の確立を図れない人は相手が目の前に来たときには「しっぽを巻いてしまう」のです。思いだけでは力とはなりません、それを「無謀」というのです。
祈り〜学びは物の順序、道理です。心を澄明にしていけば何を学び、何をすればよいのかが「身体と思考で理解できる」のです。そして実現に向かうために「退く」ということをしなくなるのです。
祈りをできない人は現実で退くのです。祈りという世界、考えるという世界は「自省という退くことを前もって行っている」ことであり、故に「現実に物事に対したとき恐れも恐怖もなく退くことをしない」のです。
祈り学ぶ人は完成するにしても、失敗するにしても中途半端な事では終わらせないのです。だからこそ事後の反省、ふり返りが可能となるのです。これは勇気がもたらしたことです。
その勇気は祈り、学びから出たことです。明晩は「にんげん学」小倉講座、相手の居ない学びをご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。