一水四見

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。来月は本年の最終講座、忙しいからこそ自分の時間を作りご出席ください。
不遇であっても志を失わない孔子の生き様は見習いたいですね、良いときでも悪いときであっても己を見失わない中庸を歩むとはどのようなものかをこれからも学びましょう。
「一水四見」。
「いっすいしけん」と読みます。同じものでも、見る立場や心の持ちようによって違うように見えるという意味です。このようなことは日常であることです。ですから人の話はよく聞かなければいけませんし、普段から言動を注意して見ている必要があるのです。
上の言葉はお経にある言葉です。「同じ水でも、天人には、水がきれいに透き通ってガラスのように見え、人間界の私たちには、そのまま水に見え、魚たちには住み家と見え、また餓鬼には燃えた血膿に見える、というのです。」。
「ものごとをあるがままに見るなんて簡単だ」という人がいます。そうでしょうか?。
嫌いな人がいたり、好きな人がいたりしただけでも違って見えるのが私たちです。「そこに一人の人がいるだけ」です。これが「あるがまま」ということです。
私という「フィルター」がかかりますと「見え方が違ってくる」のです。そして「あの人がいなければ」となり、心を騒がせ、乱してしまう。それでは「あるがままに見るなどは到底出来ない」のです。
私たちは感情を無くすなどは不可能ですし、また感情が無くなったのでは人ではありません。感情、愛情は私たちにとって人として最も大切なものだからです。あるがままに見るとはどうすればできるのでしょう。それはやはり「感謝の心で生きる」ことです。
今日お昼から弟子・誠澄は一週間の「断食・断水・不眠・不臥」に入行します。七日間飲まず食わず寝ず横にならずの念仏三昧。限界に達したとき澄明になり御仏と一体になるのです。この行こそ大慈大悲の情がなければ不可能なのです。でなければ筆舌し難い苦しみは到底乗り越えることは出来ませんし、神通力も得られないのです。
来月12月4日が満行。満行当日皆様に行者・誠澄がお加持をします。このお加持を受ければ諸病退散、がん・中風・ぼけ封じとなり、大願、心願が成就します。是非12月4日は心華寺にお運びください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。