心の

おはようございます。
祈りとはということを常々書いております。祈りは「確かな気を貯めること」でもあります。気とは「エネルギー」でもあり「情熱」です。法に則り気を充実させて「正しいオーラを発するため」でもあるのです。
正しい法を受け継いだ者と自覚し祈れば「存在感」を確固たるものとするのです。この存在感の自意識が大事です。自分が自分の存在感を認識しなければ誰も認める道理がないからです。
何かを実現しようとすれば諸々の必要なモノがあります。人もお金も物もいろいろ必要です。しかしそれが潤沢にそろっている人などはあり得ないのも事実です。
時に外に求めるモノが手に入れられないときもあり、足りないことも多くります。だからといって諦められるかといえばノーでしょう。
「心のエネルギー」。
事を実現しようと考えれば考えるほどにいろいろな物の必要性が見えてきます。しかし先ず大事なのは「熱い心のエネルギー情熱」です。それを「己に求めるパワーが大事」です。
祈りはそのようなとき力となり、支えとなる大切なものです。比叡山から下山し誰もお参りに来なかった心華寺、どのようなご利益があるのかも知られなかった心華寺、しかし私は誰も知らなかったからこそ祈ることに気概を感じたのです。
誰にも知られていないからこそ「祈りのパワー」を発揮しようと。祈りの「真言の気の力を信じた」のです。人生に一歩踏み出したときは誰にも知られていないのが現実です。
そのような中で気落ちせず、祈ることで人生が切り開かれるパワー、エネルギーが「心の中に秘められている」のが私たちの「潜在能力」なのです。
気のパワーが「人を引きつける」のです。熱く燃えたぎる情熱はどなたの心中にも在ります。それを私は日々祈ることで実践したのです。
先ず外に求める前に内なるパワーを燃え立たせようと、誠澄もそれを信じて行じています。食べず、飲まず、寝ず、横にならず体力は落ちても「気力のエネルギー、情熱のあることを」信じ祈っているのです。
行者・誠澄から発せられる気のパワーは筆舌できないほどに高まっています。
心華寺が今多くの人達の心の拠り所と成ったのは祈りの実践があったからです。自分の心願に祈り、心華寺に祈り、夢の実現を得た人が多く出たのは、有名な人が祈ったからという主体性の無さではなかったのです。
誰にも知られていなかったからこそ「普遍なる法が世間と祈る人の心の共鳴を導いた」のです。そのことの体感から日々祈りを確かにしているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。