時を

おはようございます。

今朝はすべての行が誠澄は満行しますのでお礼参りの「懺悔練行」を行っています。願いはしてもお礼はしないというのでは、非礼なことであり、人として誉められたものではありません、ですから断食行も終え少し体力が回復していますのでお礼参りとなったのです。今朝はシトシトと雨が落ちていてお礼参りには格好の日です。
何か漸く冬らしい寒さになって来たのかなと思えます。厳しさは誰も嫌がることです。しかし厳しさがなければ鍛えられないのも現実。自ら厳しさを求められるほど強い人は少ないのではないでしょうか。そう考えますと自然の厳しさは大事なのでしょう。
厳しさを求められないからこそ厳しいことを体験したとしても一過性として次に教訓と出来ないのではと反省しています。
「時を大事に」。
自然は愛情に溢れています。繰り返し私たちにチャンスを与えてくれるからです。今年はダメであったが季節は巡り来るのです。そのことを思えば自然は父母のようなものです、感謝しなければいけません。得ることばかり思っていたのでは感謝はないのです。そして巡り来たることも気づかず準備を怠り又過ちを繰り返してしまうのです。
孟子にこんな教えがあります「鎡期(じき)ありといえども時を待つに如(し)かず」。
「鎡期」とは畑を耕す農具。意は「どんなにすばらしい農具をそろえていても、季節はずれの農作業をしていたのでは収穫を期待できない。それよりは季節の訪れを待って作業を始めたほうが、たとえ粗末な農具でも立派な収穫をあげることができるというものだ。」。
これは、農作業だけではなく、すべての仕事、さらに人生の生き方にも通じるのではないでしょうか。「鎡期」とは、言わばその人の実力にたとえることができます。かりに十分な実力をもっていても、時をえなかったら、それを発揮できません。逆に時に恵まれますと、それほど実力がなくても、それを二倍にも三倍にもして生かすことが可能なのです。
実力もあり時にも恵まれる、これがもっとも望ましいことですが、人生、そんなにうまくいきません。実力を蓄えながら我慢強く時を待ち、うまく時をつかんでいくように得ることばかり考えて周囲を見渡すことを忘れないことです。
そのためには感謝を忘れないことです。得る前にこそ感謝が大事なのです。どのような気持ちの感謝でしょうか、それは才能を与えてくれた両親と様々な教えを下された皆様と社会に感謝することです。そして出会いそのものに感謝です。
今夜は「にんげん学」一宮講座、愛知地区の皆さん本年最後の勉強会、時を見のがさずにお出かけください。明日は東京講座です、こちらも時期を逃さずにご参加ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。