知ってから

おはようございます。

なかなか自ら修行をしたり学んだりと言うことは難しいものです。必要に迫られたからと言うことが多いような気がします。昨日も「苦しかったから」と書きました。
「窮すれば変ず、変ずれば通ず」という言葉もあるくらいです。困って変わらないようであってはいけません、しかしこの困ったという自覚が有るかどうかもややもしますと難しいものがあります、「無意識に責任は転嫁する」からです。
「知ってから」。
韓非子」に「知の難きに非ず、知に処するは則ち難し」とあります。
意は「知ることはむずかしくない。知ったあとでどう対処するかがむずかしいのだ」というのです。つまり情報収集よりも情報管理のほうがむずかしいということです。
そして韓非子はこんな例をあげています。「宋の国に金持ちの家があった。ある日、大雨で塀がこわれたのを見て、息子が語った。修理しないと、泥棒にはいられるよ」
「隣家の主人も同じ事を言ってきた」。
「その晩、はたして泥棒にはいられて、ごっそり盗まれてしまった。金持ちは、息子の賢さに感心した。だが、息子と同じ事を言った隣家の主人に対しては、「あの男、犯人ではないか」と疑ったという」。
親切に教えてやったのに、あらぬ疑いまでかけられるとは、これほど割に合わない話はありません。私たちの周りにも、結構これに類する話がころがっています。「韓非子」によれば、それはみな「知に処する」道を誤ったことに起因しているのだというのです。
ご相談に来られても話を聞いてくださらない方が結構おられます。アドバイスは「耳にいたいこともあるから」ですし、「気づかなかった愚かさを知る」からでもあります。時に素直に喜び、「窮すれば変ず、変ずれば通ず」となるのですが?、いかがでしょう、一年をふり返り情報管理の在り方を一考ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
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