一つ増やす

おはようございます。

一年に一度三日間の断食断水を修します。人生何も修行に限ったことではありませんが、同じ事をやっていても同じ事はありません。だからこそ繰り返しの中からの気づきは大事ですし、繰り返すからこそ気づきを多くできる、故に苦しさから逃げてはいけません。
自分が志したことから逃げ出すようでは何ごとも成就しないのです。ましてや正しい法によって己を高めようとしているわけですから、水を飲まなければ渇き、食べなければ腹が空く当然のこと、また火の前で修法しているわけですから熱い、すべて道理を行っているわけですから、それで逃げて嫌がっているようでは法力などつくはずがないのです。ましてや人様の祈願を受けることなど無理は話でもあるのです。
逃げていたのでは「こなしている」だけ、「時間を潰している」だけともなり、ですから毎年「一つ新たなことをプラスして行を行っています」。でなければただ単に繰り返すだけでは「反省を生かせない」からです。
「一つ増やす」。
行は「正しい負荷を与える、プラスになるであろうことを行う」ことでもあります。自ら負荷を与えなければ外からの負荷があったとき堪えられず、活かすことも、吸収することもできないのです。大きな負荷であれば、大きく反発するように、外からどのような大きな負荷があったとしてもそれを吸収し、その力を活かしてこそ真の力と化すのだと考えるからです。
学ぶ事、修練することは「楽をするため」ではありません。「力を蓄えるため」であり、「動じない己を造る」ためであり、「繊細さを養う」ためでもあり「敏感さを養う」ためでもあります。経験、修練をして鈍感になるようであってはならないのです。
いずれにしても対応に齟齬や行き違いを生じさせないためでもあるのです。毫髪(ごうはつ、髪の毛のようなほんのわずかなちがい)の違いが大変な事になるからです。ですから一年前に反省したこと、気づいたことにプラスすべき事を確かにして同じ事を繰り返しながら、自ら同じ事を行ぜず、新たな課題を設けて新たな問題に気づき、新たな弱点に気づくのが修行でもあるのです。故に一つ増やすのです。
このことは日常の仕事でも同じ事が言えます。気づいたことを一過性としないことが大きな飛躍のポイントです。今日は午前10時、午後1時、3時と三座護摩を修します、是非お参りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。