近い世界から

おはようございます。

年末になりますとやはり一日一日が大切に思われます。このような思いは当たり前なのですが、しかし若い頃に感じた試験当日になって、普段何の努力もしていないのに自分が自分に対しての言い訳でもあるかのような、勉強しておけば良かったというような焦りの後悔ではありません、でも何か忘れ物をしているのではという思いはします。このような気持ちがこれまた当たり前ではないでしょうか、完璧だというのもおかしな話ではあるとは思うのですが?。これは私の言い訳ですかね?。
とはいっても忘れ物をすれば人様は指摘をくださいますし、何時かは自分も思い出します。それはそれとしていつも思うのはやはり身近な人達への思いです。
「近い世界から」。
「祈り」も「学びも」身近な所から行うのが基本と考えています。祈りも学びも何も高遠なものではなく、身近な人と共に幸せにという思いが本当の祈りであり学びであるのです。
大人になってから役に立つ、将来役に立つということは当然のこととしてあります。未来を見据えて祈り学ぶ事がなければ何の進歩も進化もないからです。未来志向がなければ現実の身近な世界も疎かにするからです。また自分自身の現実を知るからこそ未来志向とも成るのです。故に身近な事からという意識でやっておりますと知らず知らず高遠な世界へと意識は高まっていくのです。
家が町が国が会社が寂れるには寂れる原因があります。それは現実を見据えての未来志向の是非です。
私たちは日々行動します、行動するということは「アウトプット」することです。そして物事が出来たり、出来なかったりという現実となるのです。そこで「身近な人を大切にする人は」何を行うのでしょう。反省「フィードバック」です。
入力(学び)と出力(実践)の反省(フィードバック)です。このフィードバックが確かにできてこそ家も会社も安泰となるのです。社会の動静を確かに見て「学びと実践の一致を促すのが反省(フィードバック)」です。
どんなに素晴らしい才能があったとしてもインプット無しでアウトプットはできないのです。ガンバレ頑張れといくら意欲を持っても、尻を叩いたとしても頑張りようがないのです。
自分を知るという身近な世界を大切にして、この人と「共に」という強い仲間意識を大切にしなければ、社会に置いてけぼりされてしまいかねないのです。身近な祈りと学びを確かにすればこそ日々楽しく在るのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。