やる気だけでは

おはようございます。

愛宕寺「年賀式」ご参拝ありがとうございます。笑顔で皆様と新年のご挨拶が出来たことが幸せです。年賀式の時間にやむを得ずお参りできずに午前中にご挨拶にお出でいただいた皆様ありがとうございます。
七草が一日ずれてしまいましたが、皆さんの一年の健康を願いお供養させていただきました。84才の女性の信者さんが皆さんに食べて欲しいと「黒豆」を煮て持ってきてくださり、皆さんに長寿にあやかるようにと召し上がっていただきました。さらに女性の信者さんがお参りして以来「63回目のお正月です」と嬉しいご挨拶。喜びが重なり素晴らしい年賀式、心身の健康が一番の富です。
必ずや御仏が一年お守り下さいます。迷うことがあれば必ず道を示してくださいます。安心して一年をお過ごし下さい。本年も祈りを基本として過ごしましょう。
「やる気だけでは」。
祈りが何故大事なのでしょう。それは「人生やる気だけではダメ」だからです。神仏を敬うこともせず。人を尊敬もせず。学ぶこともせず。人を参考、お手本にもせず。先人から学ぼうともせず。やたらやる気だけあるというのでは「失敗の人生にひた走りに走るだけ」となり「犯罪者になりかねません」。又やる気だけで学ばなければ「口先だけの人間と化す」のです。
祈りは「仕えることであります」。神仏は言わず、語らずですから「しっかりとするか否かは仏壇を見れば分かる。行動を見れば分かる」のです。また人に仕えますと人の生き様、知識の活用する姿が実践の中で失敗や成功を学べます。机上の学問が活きた学問と成るのが「仕えること」です。
故にいざ自分が知識を活用するという段になった時「臨機応変の変に対応」できるようになるのです。仕えると言うことはこれほどに大事なことでもあるのです。仕えることは「自分の解釈で行うと言うことはありません」。仕えている人の「意を汲んで行うことで、そこに又社会のためになるようにプラスして善い結果を導くこと」です。気配り、心配りも学ぶのです。
そして最も大事なことは「人情の機微を知る」ことです。祈る人の多くは「我が子や愛する人、大切な人の為に祈る」からです。またリーダーがリーダとして長く存在できるのも「人情があってこそ」です。その事実から人としての「情愛を知る」のです。情愛を知ることで「理性、知識を活用するという意義が増す」のです。いわゆる「人の役に立つ」ことになるのです。表面だけでは分からない人の機微を知ることは仕えることが一番。
人は理知だけでは偏った我利我利亡者になりかねません、しかし情愛から発した理性と知識は多くの人を活かし、導くことと成るのです。真にやる気のある人は神仏、人を尊敬し、善く仕えることをするのです。
情理が等分になれば「善と思う悪し。悪しと思う悪し。善悪とも悪し。思わざるところ善し。」という物事に偏らず臨機応変の変ができるようにもなるのです。正しこれは生涯道に歩んでこそです。
今週の木曜日からいよいよ「にんげん学」講座の始まり。どうぞ本年もご一緒に学んで下さい。学びは精神に活力を与え、倦怠感が湧かずイキイキとし意欲を活性化させます。何をしたらよいのかなどと言う寝ぼけたことなどは口から出ません、「あれもしよう、これもしようという具体的意欲、行動と成る」のです。
今日は成人式です。日本全国の新成人の皆様おめでとうございます。大人とは「どうあるべき」を確かにしてこれからの日本をリードしていただきますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。