前言往行

おはようございます。

今日は新年11日ですので鏡開き。ご本尊様、年神様、ご先祖様にお供えしましたお餅をいただくことで一年の無病息災を願い、一家の繁栄を願います。このような思いを致し今日は鏡開きをしてお餅を感謝していただきましょう。
何ごとの形にも思いがあり、形と成った理由、論理、筆舌に尽くせない先人の営みがあったことに思いを致すこともリーダーとしての心得です。形、行動で何ごとも示し示されるからです。
「前言往行」。
「ぜんげんおうこう」と読みます。「先人の言行」を知ることが「真の学問」です。知識は専門学です、狭い学問でもあります。この知識を活かすためにも「先人の行動から学ぶ」ことが真実の学問でもあります。今日の鏡開きも同じです。ただ単に習わしではないのです。
学問の書籍というものは「消え去るのが常」です。「取捨選択される」のが当然だということです。世の中の商品や物事を見てもそれは明らかなことです。
しかし紀元前から残されている古典というものは、そういう取捨選択を「くぐり抜けて生き残った書」であるのです。それはとりもなおさず「万人が良書と認めた」からに外ならないのです。
論語」や「孫子」、「老子」や「孟子」、「韓非子」等々のいわゆる古典には「前言往行」、古人の人生の処し方、生き様が書かれてあるのです。主に何が書いてあるかといいますれば「礼儀(対人関係の入口が礼儀)」ですし、人に親しまれ威厳を持つに「人格形成を如何にすべきか」を求め続けるべき必要が書かれて在るのです。
昨今のリーダーが軽薄になってしまったのは前言往行を学ぶ真の学問をしなくなってしまったからではないかと感じています。
前言往行の学ができてこそ論理を社会に活用でき人の為に用いることが可能となるのです。古来から如何に政治を執り行うか、リーダーは如何に在るべきか、働く人間としての姿勢は如何にあるべきか等々を考えてきたのです。そこで生き残ってきたのが古典の学「前言往行の学、にんげん学」です。
「修己治人(しゆうきちじん)の学(己を修めて人を治める学)」。明日木曜は一宮、金曜が東京、本年初の「にんげん学」講座です。皆様の素晴らしい知識を活かすも殺すも、この「前言往行の学」です。人生処方学といっても過言ではありません。今年も是非ご一緒に学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。