乗り越えるもの

おはようございます。

18日は実家の初観音でした。兄のお護摩を脇で承仕(じょうじ、手伝いをすること)をさせてもらい、法要後に信者の皆さんに少しですがお話しをさせていただきました。
法話後兄が皆さんに挨拶をし、このような話で喜んでくださることは「何と世間様は有り難い」ことだと、私の話の拙さをカバーしてくれました、兄弟は有り難いものです。
「乗り越えるもの」。
親孝行、兄弟の「和」が何故大切なのでしょう?。私見ですが「この世で最初に出会う愛と障害を教えてくれる」からだと考えています。
生まれて直ぐには両親や周囲の人々に蝶よ花よとかわいがられ育てられるわけですが、成長するに従ってこれまた少しずつ「躾が始まる」のです。今までは「何でも許されたのにもかかわらず」ある日突然に「注意され否定される驚きを覚える」のです。
「全面肯定から部分否定を知る」のです。パニックになって当たり前かも知れません。「愛を知り、否定を知る」のです。しかしこの事が将来に亘って必要なのです。
愛情を受けることばかりでは「我を増長させ」、「我が侭一杯の人間となってしまいます」。障害を知りこれまた乗り越えるためにはやはり愛情が必要です。否定ばかりで愛情がなければ「人間不信になりかねません」。
いずれにしましても「過ぎたるは及ばざるがごとし」であることは間違いのないことです。肯定も否定も「部分であることを知ってこそ躾ができる」のです。誉められたことは「全人格が誉められたのではなく」、否定されたことも「全人格が否定されたものではない」のです。
「愛に溺れず、否定には落ち込みすぎない」ように躾をすべきであります。私たち大人も乗り越えなければならない二つの事柄(肯定と否定)が基本的人格を形成することに気づき後進の指導をすべきであります。
何故肯定してくれるのか、何故否定してくれるのかを明らかにすることも人生を豊かに生きるためには大事で必要なことでもあります。
この二つのものを乗り越えてこそ人格が円満となり、不屈の人間性となるのではないでしょうか、シトシトと降る雨を眺め、雪国では雪かな、と考え上のような思いに耽っていました。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。