文らない

おはようございます。

一昨日は素晴らしいお天気、昨日は目覚めたときからシトシトと雨が屋根を打つ音、一昨日の興奮を天が鎮めてくれたようです。そして今朝は昨夜来からの強い雨、日々の祈りをしっかりしなさい、という教えではないかと受けとめています。
人間は素直であるべきです。先人の中で名を為し功を遂げた多くの方はやはり素直に人生を歩まれた故です。人生は来し方も大事ですが、「行く末、これからが大事」です。人生「どうあるべきか」です。
「文(かざ)らない」。
論語、子張第19、8条に「子夏(しか)曰く、小人の過ちは、必ず文る。」とあります。
意は「子夏言う、過ちは君子も小人も共に免れぬところであるが、小人の場合は、悪いことには、必ず自分の犯した過ちをあれこれ繕(つくろ)い飾って、過ちそのままの姿で人前にあらわすことをしない。」。
これは、飾ることによって人に弁解し、己に弁解しようとするのであろうが、実は人を欺き、己を欺くことであって、一層の過ちを加えるものであることを悟らぬ訳です。
また21条に「子貢曰く、君子の過ちは、日月(じつげつ)の食の如し。過つときは人皆之を見る。更(あらた)むるときは人皆之を仰(あお)ぐ。」と。
意は「子貢言う、有徳の君子にも過ちがない訳ではない。しかし君子が過ちを犯した場合は、小人が過ちを飾って隠そうとするのと違って、少しも隠し立てすることがないから、衆人はみなこれを見て、あたかも日蝕・月蝕を見る時のように明らかにこれを認識する。しかし君子は、過ちを気づけば又直ぐに改めるから、あたかも日蝕・月蝕が終わって元の光に復(かえ)った時のように、よろこびと敬いの気持ちを持ってその君子の姿を仰ぎ見るのである。」。
要するに、君子は過ってこれを文ることをせず、改むるに憚(はばか)ることがない(学而第1、8条)から、ついに過ちなきに至るのです。
素直であれば、いつかは過ちを少なくし、過ちを無くすこともできるのです。素直であればこそ学ぶこともできるのです。今夜は「にんげん学」大阪講座、会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。