如月

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございます。2月が本当の意味で一年の始まりだと思っています。短いこの月を確かにしてこそ一年を確かに歩んでいけるのです。その意味で皆さんにご出席いただけたことに感謝致します。
二月は逃げるなどとも、古人は何故このようなことを言ったのでしょう。もちろん普段の月より日数が短いこともあるのでしょうが、やはり短いからこそしっかりしないと逃げてしまうぞと戒めたのではないかと考えます。
「如月(きさらぎ)」。
衣更着(きさらぎ)とも書きます。これは寒さが又ぶり返すので一枚また上に着なさいという意味なのでしょう。また草木が芽を張り出すという意からできたという説もあり、「気更に来る」の義とし、陽気の盛んになることをいうとする説もあります。
何れにしても正月元旦に立てた計を一ヶ月実戦し、過不足を感じとったことを踏まえ何をプラスしてマイナスするのかを考えることが大事だと捉えています。
何の修正もないのであれば陽気が盛んになったとしても何物も芽吹かせることが出来ないと思っています。故に日数が少ない上に、修正をしながら確かに進んで行かなければならないので、逃げるという言葉を使って、しっかりしなさいと古人は喝を入れ戒めてくれたのだと私はこの月をスタートの月だと思って行動するようにしているのです。
1月に大いに反省、修正したことがらを2月に行動することがなければ後の10ヶ月は惰性に終わってしまいかねません。どうぞ皆さんも短い月だからこそ集中して日々過ごしてまいりましょう。
学ぶとは理屈を学んでいるのではありません、理屈を大事にするのであれば学者になるべきであります。私たちは実学を学んでいるのです。実学とは遠いことを学んでいるのではなく、身近なこと、何故お客がこないのか、営業しても何故お客が得られないのかです。人として人間としての魅力学、行動学です。
人様は何が喜ぶのか、どうすれば喜んでもらえるかです。このようなことは当たり前のことですが、この人様が喜ぶ当たり前のことを忘れているようでは反省も、修正も出来ないのです。
沢山の人と出会って、縁ができなかったことを心から反省しているかどうかが問題なのです。2月もあっという間に一週間を過ぎてしまいました。出会い(人様や研究、制作等々種々の出会い)の中で上手く行かなかったことを自身の中に求めなければ何も変わらないことを知ることです。
Aさんが行けば上手く行ってBさんが行けば上手く行かない、A社は取引があるが我が社はないということが良くあります。「にんげん学」は「見習う学」でもあります。先の事例は何を物語っているのでしょう?「真理・事実」です。理屈ではないのです。机上の空論では力を発揮しません、何故でしょう。机上の成績優秀者は実学で得た点数ではないのです。動いていない文々句々を頭の中に写しただけ、そして紙の上に写しただけのことです。自分の思い込みだけで人様や研究に対しているだけで、現実の中で起きた事柄に対応しているのではないのです。この事実に気づくことが「にんげん学」でもあります。何をもう一枚着るのか、プラスするのか、はたまたマイナスするのかをしっかりと認識して見習う「師」を得ることも大事です。
現実から学ぶことが科学でもあり学問でもあるのです。学びはリアルでなければいけません、問題がありながら何の対策も講じず行動も変わらずでは、自然はいざしらず人間社会での一年の成長進化はあり得ないのです。だからこそ1月の反省、修正を確かにして一年を確かにすべきではないでしょうか。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。