期待されないこと

おはようございます。

先日とある冊子を見ていましたら自殺者が3万人超毎年出ていることが書かれてありました。以前から言われていることですが大変な事です。これは大きな問題です。社会の大きな損失であり、命は大切にしなければなりません。
「期待されないこと」。
私は愚鈍で勉強も出来ない少年でした。その頃は出来ない反動で自意識だけが高かったようです、だからかも知れませんが、人を否定し自分を否定するような言動が多かったように思っています。
長じてある一つの言葉に出会いました「願文(がんもん)」という比叡山を開かれた伝教大師最澄上人が僧侶になった動機、声明文です。
そこには「こうありたい、このようにあろう」ということが書かれているのです。世の中に認められようとか、期待され信頼されたいなどという言葉はどこにもないのです。日々の生活の中で祈り学ぶことのすべてが「世の中のために」行うことばかりが書かれているのです。
「足りないと感じたものを補い足していこうとする事柄ばかり」です。祈り勉強して己の力を誇示しようなどという気配さえないのです。19才という純粋な少年の人生観です。
社会に不足があったからではなく、感覚で捉えた素直な感情、精神世界の息吹です。「自身が何を為すべきか」ばかりを問う文章。「どうあるべきか」を生涯模索し歩み続ける決意です。
社会に「期待されることを捨て去る生き方」もあるのです。そして「黙々と歩み続ける」人生もあるのです。心に何か閉塞感を感じるものが出来たとき心華寺におでかけください。そしてただただ誰のためでもない作務(掃除)をする日々を過ごしてみてください。
期待せず、信じる世界があることをきっと実感するはずです。期待されたい、信頼を得たいという我欲を捨て去ることが「自分の束縛から解放される」のです。尽くすばかりの人生もまた良いものです。
明日は「にんげん学」京都講座です。消極的生き方の「老子」です。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。