思うことは楽しい

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。孔徳の思想いかがでしたか、難しいですが、何となく底の深さが分からないからこそ道であるという孔(あな)を譬えにした老子の言葉、深淵でありながらも何か底の知れない人間性を養いたいと思わしめるのが老子なのかもしれません。来月もお待ちしております。
「思うことは楽しい」。
よくイメージを良くすることが大事だと言われます。私もそのように思います。一人静かに物思いに耽ることの大好きな私でもあります。イメージの世界では何ごとでも可能です。思う喜びは別次元の世界であり恍惚となります。この快感を知れば必ずや成功に導かれるのです。
現実世界では柔軟に受け入れることが大事です。人は受け入れられれば悦びだからです。ほとんどのことを拒否することは出来ないのが現実です。この現実を思えばやはり拒否するよりも受け入れて己の信じる道の糧にすることが最大の方法であるのです。
昨日書きましたが後言しても何も変わらないのです、変わらないより愚痴る自分を作るだけです。受け入れることが全ての始まりだからです。受け入れることから何ごとも始まり生まれていくのです。拒否してしまってはそこで終わり行き詰まり、先行きの未来に何のイメージも湧かず生まれる道理はないのです。過去は変わらずとも未来を変えることは可能です。そこに光明があります。
現実は常に存在します。この常を否定していたのではこれまた新たな発想も道も示されず、自分の中に在る「心の存在も否定してしまうこととなる」のです。自分が相対しているにもかかわらず否定することは「自分を否定していることになります」。
常の存在を知ったとき明らかに道が示されるのです。そして新たな楽しい未来へのイメージがわき出るのです。狭い固定観念に縛られ目の前の常の存在を否定しているようではせっかくの能力を自らつぶしているのだということに気づきましょう。
思う楽しさ、イメージを豊かにするために時には祈り瞑想にお出かけください。現実は現実ですから否定しようがないのです。否定したときから人生の扉は閉ざされるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。