発言は慎重に

おはようございます。

発言は慎重でなければならないことは誰でも承知のことです。年令を重ねたり、人の上に立ったりすればなおさらのことです。上に立っていなくとも志があれば、やはり言葉は重要な手段であり大切にすべきです。ここ数日謙虚が大事ですよ、知ったかぶりはいけませんよと書いておりますが、今日も同じようなこと。
「発言は慎重に」。
易経(えききょう)」に、「言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発は栄辱(えいじょく)の主なり。言行は君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」。という言葉があります。
意は「言行は君子にとってきわめて重要な手段であり、それのいかんによって栄誉を得るか恥辱をこうむるかが決まってくる。君子の言行は天地を動かすほどの力を持っている。くれぐれも慎重にしなければならない」。
というのです、いかがですか皆さん、言葉を慎重に使っていますか、言語は「枢機」だ、肝心要でとても重要だというのです。地位が上がるにつれて、発言の重みが違ってきます。責任を自覚すれば、いやでも慎重にせざるをえないのです。
礼記」に、このような言葉もあります。「王の言は糸の如し。その出(い)づるや綸(りん)の如し。王の言は綸の如し。その出づるや綍(ふつ)の如し」。「糸」は繭からとる細い生糸。「綸」は、生糸をより合わせてつくった紐(ひも)。「綍」は、紐を何本もより合わせてつくった太い綱。したがって、こんな意味になるのではないでしょうか。
「王の発言は影響力が大きい。最初は生糸のように細くても、いったん口から出ると、より合わさった紐のように太くなる。最初は紐のような太さでも、口から出てしまうと、綱のような太さになる」。
この言葉から、さらに、「綸言(りんげん)、汗の如し」(漢書)という有名な言葉が生まれました。
「綸言」とは王たる者の発言。それは汗のようなものだというのです。汗というのは、一度自分の体から出てしまうと、二度と戻ってこない。それと同じように、王たる者の発言は、一度自分の口から出てしまうと、取り消しがきかない。だから、発言はくれぐれも慎重にしなければならないのだというのです。
発言は王でなくとも志を持つ者であれば当然慎重でなければなりません。ただし、「発言は慎重に」といっても、こちらの立場や言い分を主張しなければならないときに、もじもじして碌な発言もできないようでは、これまた困ります。必ずしも能弁である必要はありませんが、訥弁でもいいから、必要なとき必要なことを筋道立てて主張できる弁舌は、最低限度身につけるべきです。これもリーダーにとっては大事な条件なのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
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