文明災害

おはようございます。

昨年の3月11日、忘れもしません、忘れられません、「にんげん学」講座に上京中、上野で「東日本大震災」に遭ったからです。この世が終わりかと思われるような揺れでした。
あれから一年、亡くなられました皆様の一周忌、心よりご冥福をお祈り致します。行方不明者が未だ3、167人もおられ一層悲しみを大きくします。
「文明災害」。
地震、大津波は天災でした。天災には抗しようがありません。ただただ被災されました皆様にこれからも復興復旧のお手伝いをさせていただきます。前向きの行動のみです。
しかし原発は「文明による災害」だったと自覚し反省しなければいけません。自然界は生滅の相を示しています。生があって滅、滅があって生です。滅びない物はないのです。それを科学と称して作ってしまった。
私たちの日常生活を考えれば直ぐ分かるはずです。安全という言葉は存在したとしても「絶対安全はない」のが現実です。それが文明だという自覚、事実です。
家の中にいても、歩いていても、電車や車、飛行機に乗っていても、完璧に安全という現実はないのです。安全と「思い込んで暮らしているに過ぎない」のです。ここのところを私たちは改めて一人一人自覚しなければならない「教訓」としなければいけないのではないでしょうか。天地万物と共存共栄し、生滅を繰り返すことでなければいけません。
お金を出しているから、払っているからという事で「命は守られない」のだという自覚です。
東日本大震災の一年をむかえ、ご冥福を祈りながら余りにも多くの犠牲者を出し、教訓としてくだされたのは悲しいことですが、多くの方の犠牲の中で多くの事を教訓とすべきだと考えています。
がれきの山も残されたまま、戯論(けろん)を一番戒めているのが仏の教えです。協力しなければと立派な話はしていても、いざがれきやゴミを引き受けてくれとなると黙ってしまう、言葉に出しても行動しないことを戯論といいます。戯論は一番人を苦しめる言葉です。困っているときこそ、苦を分かち合う、今このことが人間として一番に求められているのではないでしょうか。
何でこんなことにということも考えなければいけないことは当然ですが、今一番急がなければならないことは被災者の皆様に仕事を作って上げること、生活を確かなものとしてあげることではないでしょうか。これからも力一杯応援、支援を致しましょう。
明晩は「にんげん学」京都講座、明後日は大阪講座です。人として「どう在るべきか」をご一緒に学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。